基本理念は「古都奈良の地を大切にします」
障害者の就労をITで支援するNPO法人

NPO法人 地域活動支援センターぷろぼの(奈良市)
理事長 山内民興さん


 山内さんは、50歳のとき喉頭がんの手術で声帯を失った。当時は東京でIT関係の会社を経営するビジネスマンだった。システムづくりは面白く、好きなことを楽しんでいた。そこに訪れた人生の転機。生まれて初めて「人が自分から去っていく」感触を味わった。
 奈良に戻って失意の日々を送る中からたちなおり、ボランティア活動からスタートして社会に復帰した。5年前、それまで福祉作業所だったぷろぼの(※)をNPO法人化し、現在は理事長を務める。人工喉頭という機械を使って発声される声は電気的で抑揚がないため、表情豊かに笑顔で話すようになったという。 
   2年前、職員向けに仕事の指針となるものをまとめた「ぷろぼの憲章」を作った。その最初に掲げられた基本理念の第一項に「古都奈良の地を大切にする」とある。
 「ITで支援」という活動と「古都奈良」という言葉とのつながりは何だろう。素直に聞いてみると「最近は、地域のおかげで生活しているという考え方が薄くなってきていると思うから」という答えが返ってきた。
 一口に地域といっても、どこからどこまでを括って考えるのかによって範囲は様々だが、「古都奈良」という表現でそれを明確にしている。北海道でもなく、東京でもなく、自分たちが生活しているこの古都奈良という地域の食、土壌、水、気候、文化、習慣、行政サービスのおかげで生活しているものの、実際にそれをどれだけ意識しているか。その恩恵を自覚して、次の世代へ繋いでいくことが大切だという。
 そこには支援する側である職員の育成のためという目的と、もうひとつ大きな視点からの「地域の活性化」というビジョンがある。
 ぷろぼのでは、職員の資質として求められものに福祉やIT関係の知識のほかに「常に奈良における一般教養を高め、文化や歴史を誇れるような知識を得ること」が含まれている。利用者には重度の知的障害のある人でなく、むしろ充分な知的レベルを持ちながらも発達障害、精神障害、身体的障害などにより、健常者との違いを受け入れる困難さを抱えた人も多い。そうした人たちから信頼され、良好なコミュニケーションが交わされるためには、職員自身の能動的な学習態度や、精神的な成熟が不可欠なのだ。
 「演歌で言ったら、20歳の女の子が歌うのより、中年女性が歌うほうが心にしみたりするでしょ。それは年齢を重ねたぶんだけ、歌に知識や経験がしみるからですよ。知識や経験からしか生まれない説得力っていうのがあると思うんですよ」
 ぷろぼのの若き職員たちが地域を知り、愛することが、より上質な支援につながる。
 また、今恩恵を受けている地域を大切にするという理念は、地域全体の活性化にもつながっているという。地域社会を構成する個人も組織も、時代とともに変化していくのが当然だが、代替わりしても引き継ぐべきものがある。それを継承する担い手となる若いエネルギーが消えるとき、地域は衰退していく。若いエネルギーを消さないためには、地域を大切にする気持ちと、生きるすべとなる経済の両方が必要だと山内さんは考える。簡単に言ってしまえば、地元が好きという気持ちが原動力となり、経済にもいい影響や循環が生まれるということだ。
 ぷろぼのの利用者の多くは、一定の職業訓練期間が過ぎると、就職というかたちで地域社会へ巣立っていかなければならない。地域そのものが多様な価値を認める温かいものでなければ、本当の就労支援には結びついていかないという思いがある。障害のある人たちも含めて人々が幸福感を持つことができ、若いエネルギーにあふれ、経済もまわっていく地域のためのしくみづくり、それが山内さんのライフワークそのものなのだと思った。


ホームページ
http://purobono.itrobo.net/
山内さんのブログ ぷろぼの障害福祉の現場から
http://blog.vport.org/

※ぷろぼの 障害者の地域自立を目標に、主に就労支援事業を行っているNPO法人。ITの習得を目指した訓練を行うのが特徴。





「あしたも扉をあけて、お待ちしています」
人と人をつなぐ 山麓の小さな店で

古道具・セレクトショップ「恵古箱」(葛城市)
オーナー 上山 恵 さん


 奈良県南部、香芝市から御所市へと続く県道30号線は、通称山麓線と呼ばれ人々に親しまれている。葛城山や金剛山が連なる山麓から大和の国中が眼下に広がり、高天ケ原の伝承地があることがしっくりくるような美しい道だ。
 この道沿いの葛城市の一角に、古い一軒家の内装に手入れをしただけの、古道具とギャラリーの小さな店「恵古箱」がある。看板はさりげなく、初めての人なら近くにいてさえ見つけにくいかもしれない。
 扉が開いたままになっていることを除けば、ごく普通のおうちのよう。靴を脱いであがると、右手には企画展示のための小部屋があり、左手にはランチや喫茶を楽しめる板張りの茶の間があり、そこから廊下越しに続く部屋には、古い家具や椅子、昭和初期の扇風機、カメラ、計り、器、オリジナルの小物…どれをとってもレトロな味わいがいっぱいに漂うモノたちが、気持ちのよい間隔で美しくレイアウトされている。
 この店の店主がメグさんこと上山恵さん。これといった広告をしない小さな店に、関西一円からわざわざ足を運び人が訪ねてくる。ほとんどの人は口コミや、彼女が休業日以外には毎日欠かさず書き綴っているブログを見つけてやってくる。 「今日もたくさんのみなさまに出会うことができました」 ブログはいつもそんな言葉で始まる。しかし、わいわいと人が押しかける店ではなく、むしろ 静かで、いつ訪ねてもゆっくり落ち着ける店。この不思議な魅力は、何だろう。

 
メグさんに、この店を開くまでの物語を伺ってみた。
 結婚し、子どもが産まれたばかりの頃、雑貨やインテリアが好きなメグさんは、近所のご縁で出会ったインテリアコーディネーターからセンスを学ぶ個人レッスンを趣味として受講していた。10年近く続けるうちに、先生から「そろそろ何かやってみたらどう?」と薦められ、思いついたのが自家用車を使っての雑貨の移動販売だった。
 「自分の貯金でやりくりできる範囲からのスタート」と考え、できることから行動し始めたのは2004年のこと。移動販売とはいえ、道路で自由に営業できるわけではない。彼女はまず、落ち着いて店を広げることができるよう、広陵町のある美容室に声をかけた。
 「おたくのお店の駐車スペースを使って、ご迷惑にならない時間に、雑貨のお店を開かせていただけませんか?」
 了承が得られると、毎週、一定の曜日と時間に店を開いた。それからの数年の間に、店を開ける場所は三重、京都、滋賀、和歌山にまで広がり、雑貨だけでなく古い家具や道具も扱うようになり、カフェでの展示や空間コーディネートの依頼なども受けるようになっていた。

 2年前、時が満ちたように、偶然から今の一軒家を借りることができ、現在の「恵古箱」をオープン。移動販売の頃にお世話になった人たちが、訪ねてきてくれた。そこからまた口コミが伝わっていった。
 メグさんは自宅に人を招くように一人一人のお客と向き合い、もてなす。立ち入りすぎることなく、心を開くような交流が生まれるためか、彼女とゆっくり話がしたくて訪れる人も少なくない。「その時、買ってもらえなくてもいいんです。ここでの時間がいいものであれば、お客さまはまた来てくださることでしょう。そんな中から自然にモノたちが旅立っていければいいかなと」
 毎月のように訪れる人にも何か新しい発見があるようにと、月替わりでギャラリーの企画を入れ替え、心を尽くしている。 店を閉めた後で、 一つひとつの出会いをかみしめるように、メグさんは毎日のブログを綴っていく。

 インテリアの好きな子育てママが抱いていた赤ちゃんは今、二十歳の青年になっている。その間に、彼女の人生にも喜びだけでなく、苦しみや悲しみもあった。それらを乗り越えながら、ゼロから始まった夢を紡ぐような店づくりとともに、育くんできた感性があるのだと思う。
 ここでは、古くなって捨てられそうなものたちに、工夫やセンスという光を当てることによって新しい生命が与えられている。それを見る人たちの心には懐かしさと、気づきが入り交じる。時を重ねたものだけに宿る味わいは、人生の機微など、とうに知り尽くしているかのようだ。「いろんなことがあったんだね」と人を受け入れて包む空気感が、部屋の隅々にまで満ちている中で、もう必要ないと一度は排除されたモノたちへのメグさんの愛情が伝わってくる。
 この店の魅力がやっと、つかめたような気がした。メグさんのブログはしばしば、こんな言葉でしめくくられる。「あしたも、扉を開けて、お待ちしています」
 この一言で、また人が訪れたくなるのだろう。



「恵古箱」ブログ
http://ekobacouti.exblog.jp/





復学や自立の前に、傷を癒す場所になり
子どもの自発的な思いに添いたい。

フリースペースSAKIWAI(奈良市)
代表 大谷かおる さん


 奈良市の市街地にある賃貸マンションの一室がフリースペースSAKIWAI(以下SAKIWAI)。ここは、不登校やひきこもりの子どもたちが安心して過ごせる居場所であると同時に、そうした子どもを持つ親たちの会である「ふきのとうの会」や、若者たち自身が集える「若者のほっとスペース」のための部屋となっている。
 かつて学校は富裕層のためのものだったが、就学率がほぼ100%の現代では、学校へ行ける有り難さは消え去り、行ってあたりまえ、そして、行かなければならないところになっている。近年では大津の事件にあるように、いじめにより子どもが自ら命を絶つケースも続いている。子どもや若者にとって、今がどれだけ生き辛くなってきているのだろう。学校や社会との関係を拒む子どもや若者たちから、わたしたちが受け取るべきメッセージとは何だろう。SAKIWAIの代表として、20年もの間、不登校の子どもや若者たちに寄り添ってきた大谷かおるさん(62歳)の思いを伺った。
 大谷さんがこのような活動にかかわったのは、我が子が中学生のとき不登校になったことに始まる。一口に不登校といっても、背景は様々であり、一部には親のネグレクトや貧困に起因する場合もある。しかし、「ほとんどの場合は、学校での人間関係からくる苦しみが原因になっていることが多い」という。子どもたちは、親には何も言わない。うまく言葉にできないということもあるだろうし、たとえば自分が学校で排除されていたなら、その事実が家庭の中で明かされることへの辛さもあるだろう。もしかしたら、親からさえも「学校へ行けないダメな子」と思われることを恐れているのかもしれない。本当の気持ちはわからない。ただ、心を閉ざす子どもが目の前にいるだけだ。
 教育熱心だった大谷さんにとって、目からうろこが落ちる出会いとなったのは不登校の親の会の存在と、そこで出会った考え方だった。そして「行かなくてもいいよ」と娘に伝えることができた。親の会では何かと積極的だったことがかわれて、世話役を引き継ぐことになり、「ふきのとうの会」の代表となって今に至る。
 その一方で、奈良市内に発足したフリースクール「さきわい学苑」を支援するかたちで関わり、1998年にその主宰も引き継ぐことになった。子どもの居場所と親の会の両方が利用できる場所「フリースペースSAKIWAI」として、1999年に再スタート。主宰者も変わり、リニューアルして再出発ということで、さきわいをローマ字表記にして改名した。



 運よく関係者から借りることができた部屋には、テレビやゲーム、漫画や専門書、こたつ、パソコン、楽器、お鍋や食器、寝具まである。
 「長年このような活動をしてきて、全国的なつながりにも属しつつ、いろいろと勉強してみると、不登校の子たちの受け皿としては大きく言ってふたつあるように思うんです。
 ひとつは、復学や自立を第一とするところ。もうひとつは、行きたくないという現状をそのまま受け入れ、子どもの自発的な気持ちに添うところです。
 子どもたちは、いろいろな原因はあるにせよ、心に傷を負い、疲れ果てています。まずはその傷を癒す場所が必要では。学校は必ずしも行かなくてもいいという立場で、長い目線で受け止め、いつ来てもいい、いつ帰ってもいい、なにもしなくてもいい、心の通いあう友人や信頼できる大人と出会える居場所となり、子どもが求めたことだけをサポートしたいと思っています」
 親の会からの要望で、若者のほっとスペースも生まれた。進路の相談にのったり、子どもが望めば勉強のサポートもする。元気になってくると、子どもたちはそれぞれに自分の活動を求めるようになるという。学校へ戻る子、通信高校へ行く子。大検に合格して予備校を経て大学へ進学した子もいる。それをゴールとして目指したのではなく、自発的な選択が生まれるまで待った結果だ。
 親なら誰でも、子どもが学校へ行かなくなったらショックを受け、不安にかられるだろう。そこに、「競争における勝利」という子どもへの期待や格差社会へ不安が混じると、親心はより複雑になっていく。子どもだけでなく、親が癒されることも大切だ。
 世の中の変化につれて、学校という現場も変化する。子どもからのサインによっては「行かなくてもいい」「逃げてもいい」という選択があっていい。学校以外の場でも安心して成長していける機会があれば、不登校は絶望や挫折ではなく、そこから芽生える希望につながっている。


フリースペースSAKIWAI 
毎週火曜日開所  見学無料 相談料1000円
〒630-8114 奈良市芝辻町2-11-16 圭真ビル401
電話 742-34-4867 sakiwai1994@hotmail.co.jp
その他、ふきのとうの会(不登校・ひきこもりを考える親たちの会)もあります。
詳しくは URL: http://www4.ocn.ne.jp/~sakiwai/
連絡先 大谷かおる 0742-48-8552 

家賃維持会員募集中
  年会費 一口5000円(通信会員1000円)
郵便振込 00980-7-546 フリースペースSAKIWAI




中学生から20代の若者たちと
何をしてみようか?

青少年支援団体 ジャンプアップ
代表 江藤真一 さん(香芝市)


◆◆◆
 もともとは銀行マン。 今は保険代理店に勤める。 1998年に銀行を退職してから、しばらくの間家庭教師の仕事をしていたことがある。そのとき出会った生徒を見ていて、「若い子たちの気持ちが、どこへも届きにくくなっているのではないか?」と感じたことがあった。
 その後、中学生や高校生の主張や表現を発表する任意団体に関わるようになり、いつしか若者たちの兄貴分として、縁の下で支えたり、アドバイザー役になったりしながら、気がつけば10年が過ぎていた。
 ボランティア活動、コンサート運営、バザーなど、「自分たちで企画して実行してみる」という機会を与えられると、学校だけでは満たされない部分に充足感を持つ子たちは多かった。ケンカしながら、悩みながら、友情を育てながら、やりがいを見つけながら活動する若者たち。やがて卒業していく子、新たに加わってくる子。その繰り返しの中で、こうした活動の意義を感じながらも、まだ何か足りないものがあると気づくようになった。
◆◆◆
 それは一言でいえば、つながりの不足。卒業したら終わり、社会に出たら終わり、また、団体の方針により「在学」という参加条件があったため、退学したら終わり。
 一方では、地域とのつながりを全く考えてこなかったことにも気づいた。たとえ、在学中にやりがいをもって活動をしていたとしても、それが進学したり就職した先で、ただの思い出にすぎないものになってしまう。成人した元ティーンエイジャーたちとの接点もなかった。
  今までの経験を活かして、何かできないか。 勉強の得意な子、苦手な子、在学している子、退学した子、学校へ行きにくい子、元気のある子、元気のない子、夢のある子、夢のない子、いろいろなタイプの若者たちが、それぞれが求めているものを探しにこれるような環境もしくは、集まりがあれば…。それらの思いから、ジャンプアップをたちあげたいという気持ちが芽生えていったという。
◆◆◆
 2013年が明けると同時に、仲間に声をかけた。これからリーダー的な存在になると見込んだ高校生、大学生、社会人が数名。ファミリーレストランのテーブルを囲みながら、最初に、名称が生まれた。何をするのかを決めるのも、その後からのことだった。 まず、奈良県が年2回行っているユースの風フェスティバルへの協力を申し出、小さなスタートをきった。年内には10代のメンバーを中心にイベント企画をすることで共通体験の機会を作りたいという。さらに今後は、奈良県内の企業や団体に目をむけ、ボランティアか、見学か、あるは講師を招いてのセミナーか、何らかの形で若者たちに一人でも多くの「いい大人」との出会いを作りたいとも考えている。それが「奈良に誇りをもって将来像を描く」という気持ちにつながってほしいと思うからだ。
◆◆◆

 「今の若者たちは夢を見ませんね。あきらめも早いし、目先のことで満足してしまいがち」と、江藤さんは見ている。しかし、夢を持ちにくい環境を与えている大人にも原因があるかもしれないのである。
 何かしたい!という気持ちを受け止めて支援できているか。自分なんかダメ、と思う気持ちを新しい視点で照らしてやれるのか。何がしたいか、何ができるのかわからない、と諦める気持ちを、そのままの自分から始めてみようと機会を与えているか。短い目線で決めつける気持ちを、なだめ、励ますことができているか。
 大人には若者の力を引き出す役割がある。大人のひっぱり方次第で、若者たちの可能性は変わってくる。江藤さんは、「若者に介入するちょっとおせっかいなへんな大人」の一人でいたいと決めているようである。若者といっしょに何かすることは慣れているが、地域社会とのつながりに関しては、これから勉強だという。課題はやはり活動資金に関することだが、「それも含めて、私自身が勉強していかねばならないこと」と前を向く。大人も夢を見よう。ジャンプアップがこれからどのように育っていくのか、楽しみだ。





人生をやり直すことができたのは
笑ってくれた子どもたちのおかげ。

子ども向けマジシャン 
ジャスパー瀧口さん(奈良市)


 幼稚園、保育園、子ども会など、子どもが集まる場所を中心に、奈良を拠点として近畿一円で年間200回の公演をこなす自称「なんちゃってマジシャン」、ジャスパー瀧口さんは「何をやってもダメな人間でした」と自分のことを隠さない。
 子どもの頃はいたずら好きだったが、中学生になると人からいじられることが多く、高校生の頃は、いわゆるパシリ役だったという。高校卒業後は、料理人を目指すも諦め、ミュージシャンを目指すも諦め、漫画家を目指して上京するも諦め、地元奈良に戻ってからはアルバイトで生計を立てていた。
 マジックと出会ったのは25歳のとき。もともとマジックに興味があったわけではなく、自分が将来マジシャンになるとは想定していなかった。たまたま、友人のいとこから、当時流行していたマリック流のマジックを見せてもらったところ、大感動。
 友人のいとこ曰く「マリックって超能力者みたいに言われているけど、あれはね、全部マジックなんだ。それをまるで超能力者のようにできるところがマリックのすごいところ」。
「すごい! やってみたい! 」すぐにマジックショップへ駆け込み、説明書を読みながら独学。いつも道具を持ち歩き、何かにつけ人に見せるのが趣味となった。なんちゃってマジシャンの始まりである。

 趣味のマジックを楽しみながら、派遣の仕事も同一の職場に長く勤め、キャリアを積んで安定していた。そんなときに、結婚を意識してつきあっていた女性に振られた。思い込んだらとことん進むタイプだけに、落ち込みも大きかった。このショックから、仕事を辞め、引きこもりがちな生活に…。 人に会うとすれば限られた友人だけ。 食欲もなく、自殺願望もよぎった。精神科の病院へ行くと「鬱的ですが鬱ではありません」と言われ、薬を飲んでも効かなかった。催眠療法にもすがってみたが、まったく良くならなかった。
 しかし、この経験に、今では感謝している。なんとか立ち直りたいと、友人を頼ってボランティア活動に関わるようになり、そこで子どもたちとの出会いがあったからだ。
 子ども向けイベントの誘導役を引き受けけたときのこと。いつものとおり、マジックを見せてあげると…「おっちゃん、すごい!」と、大反響。イベントがなくても「またあのおっちゃんと遊びたい」と、子どもたちから慕われ、鬼ごっこや隠れんぼもする仲になった。そして、いつしか少しずつ落ち込みから回復している自分に気づいた。
 そんな話を職場でしていたら、先輩のパートさんから檄がとんだ。「そこの子どもと遊ぶだけじゃなくて、児童養護施設の子どもたちにも見せてあげなさいよ!」
 言いつけに従って、自分から施設に電話をかけてみると「どうぞ来てください」との返事。
 「持っている限りの道具を全部持ち込んで、ただひたすらに次々とやるだけでした。あれは、ショーではありませんでしたね。ただやるのが精いっぱい」
 そんなマジックショーを喜んでくれた子どもたち。ジャスパーさんは心を打たれた。以来、他の施設を回るようになり、保育園などからも出演の依頼が口コミで集まるようになった。「プロになったら?」と勧められたのはこの頃だ。年齢はすでに38歳。周囲のプロに相談すると、ほとんどの人からは「厳しい」との言葉。しかし、中には「やるなら今しかないで」という人もいた。ジャスパーさんはこのアドバイスを選んだ。
 ボランティアで回っていたところに頼らず、一からの再スタート。かつての職場へ臨時でアルバイトに入りながらの活動開始。2009年に、いわゆる派遣切りがあったときには、幸い活動が軌道に乗りつつあった。
 「出演料は、これからも、保育園や子ども会に呼んでもらえる料金に抑えたいんです。依頼があればいろんな場所へ行きますが、不思議なくらい大人よりも子どもにウケるんですよ。僕はこの仕事で大きな家を建てたいわけじゃなくて、子どもたちに会いたいんです。子どもたちの笑顔がなかったら、今の僕はいないから」
 公演を見てくれた子どもが、大きくなってからも覚えていてくれて、偶然出会って声をかけてくれるときは感無量。子どもに救われた初心を、いつまでも忘れたくないと思っている。ジャスパーさんは自分の肩書きから「子ども向け」を外さない。

ホームページ http://www18.ocn.ne.jp/~jasper/



森の中の宿泊できるヒーリングハウスで
訪れた方に自然療法で癒されてもらいたい

自然療法 森の学校 校長
 クレメンツ・カオリさん(橿原市)


 初めての就職はエステ業界だった。それも美容を追求するほうではなく、アトピーなど肌のトラブルに悩む人を専門にケアするもので、クレメンツさんはセラピストの育成や教育に携わっていた。在職中の1984年、リンパトレナージュ(組織やリンパ管に停滞した余分な体液や老廃物の排泄を促す手法)を学ぶためフランスへ渡り、そこで アロマテラピー(花や木など植物に由来する芳香成分「精油」を用いて、心身の健康や美容を増進する技術) に出会った。これをきっかけにさまざな自然療法を学び始めたのが今に続いている。自然療法は、心身のバランスをとり人の自然治癒力を高めることによって健康を維持していく療法。治療を目的とする医療とは別のものだ。
♦♦♦♦
 もともと宇陀の自然豊かな場所に生まれ育ち、子どもの頃から草花とお喋りするようなタイプだったという。自然の力や手当てによって人を健やかな方向へ導く自然療法との出会いは運命だったかもしれない。
 仕事の現場では、ケアを続けるなかで気づかされたことがあった。それは、肌だけをきれいにしようと思っても限界があるということ。
「肌(身体)と心はつながっていますから」
 心の状態、ものの考え方、受け止め方によって、同じ状況下にあってもその人に与える影響が変わってくるというところまでふまえてケアすることが大切と考え、いいと思った ことは何でも研究してみた。自分の精神を浄化する行や瞑想に取り組んだり、スピリチュアルに関することも学んだ。当時の日本ではまだなじみのなかったアロマをはじめ、手技による療法、鉱物を使う療法など広い範囲で自然療法について研究した。もちろん食事も重要であり、薬膳の知識も深めていった。
 自然の流れに沿うように、独立して橿原市内に自然療法によるヒーリングルームを開き、そこで自らセラピストとしてケアしたり、やり方を学びたいという人に教え、専門家の育成にも努めた。
「ほんとうは、自然いっぱいの自宅の近くでやりたいところなんだけど、少し不便だから通う人に気の毒でしょう。だから橿原にしたの」
 今では自宅と仕事場を移動する時間が、自然との会話タイムになっている。当時の卒業生の中には、サロンやスクールを開いて活躍する人や、アロマ関係の資格認定機関で要職に就いている人もいるという。
 2003年からは現在の場所に移り、2010年には、広範囲にまたがる自然療法をトータルに学べる森の学校を開いた。
♦♦♦♦

トリートメントの部屋

 橿原神宮駅から徒歩すぐにある学校を訪ねてみた。壁に何百種類ものドライハーブの入った小瓶が並んでいるのが目に入る。その近くには、水晶などのパワーストーン。トリートメントを行う部屋には、バリで自然をモチーフに描いてもらった絵画が壁いっぱいに飾られ、深い森の中にいるよう。講義を行うための部屋もある。
「ビジネスとしてこの業界で成功を求める、それも素晴らしいことだと思いますが、わたしは自分に与えられたものを生かしながら自然療法を伝導していくような形で誰かの役に立っていきたい。そこに喜びと誇りを感じています」
 今、力を注いでいるのが、ホームセラピストを増やす、ということ。自然療法はプロになるだけが全てではない。むしろ、家庭の中の一人(たとえばお母さん)が、家族が不調のとき、薬や病院に頼る以前のところで、植物などの自然の力や本人の治癒力で、安らぎや楽しさをもたらしながら癒せたら…それがホームセラピスト。 「美味しいなあ、気持ち良いなあっていう快適さが大切です」

 自然由来のものとしては漢方薬があるが、薬が治療だけを目的とするのに対して、自然療法では、薬膳料理やハーブティーの美味しさ、ボディトリートメントの気持ちよさ、アロマのいい香り等で生活の質を高めると同時に、不調を整える。きちんと学ぶことによって、結果が出せるようになるそうだ。
「たとえばお腹が不調の人がいたとして。ストレスからきているのか、他に原因があるのか、それによって飲むハーブティーも、手技の方法も違います。それを正しくできれば、 実際に、 調子がよくなるんですよ」
 今後は、森に囲まれた場所で、薬膳料理を美味しく食べたり、自然療法の施術を受けたり、ハーブガーデンの散策も楽しみ、宿泊もできるようなヒーリングハウスを計画中だ。 ♦♦♦♦
 頭が痛ければ鎮痛剤、風邪をひいたら風邪薬。わたしたちは、まるでボタンを押せば結果がでてくるのを期待するように、症状を消すことで解決しようとしてしまいがち。しかし、ひとつの不調を身体と心からもたらされたメッセージと受け止め、どんな手当てをしてあげれば治癒力が発動するのかを考え、自分や家族や大切な人を癒していく…という方向にシフトしていければ、たおやかで優しい時間をもっと取り戻すことができそうだ。そして誰もが、本来の快適な気分や体調を維持できるようになれたらいいなと思う。

ホームページ http://morinogakkou.com/



各駅停車駅の富雄で街フェス 
人と店を繋ぐ「大人の学園祭」に

とみおフェス2013実行委員長 カフェ&キッチン「フランジパニ」オーナー 
 細川あやのさん (奈良市)


 近鉄富雄駅は急行が止まらない小さな駅。ここで去年11月7日から10日までの4日間、「とみおフェス」が開催された。駅から歩ける距離にある多様なショップが、ワークショップやミニイベント、限定サービスなど期間中だけの自主企画をいっせいに行い盛り上げるというもの。3年前、数人の有志で始まったものだが、昨年は準備がなかなかうまく進まず、9月に入ってもこれといったものが決まらないでいた。「だったら、わたし、やるわ!」と立ち上がったのが、駅から徒歩2分の場所で、完全予約制のカフェを営む細川あやのさん。第2回の一昨年は、フェスに関わるショップの一つという存在だったが、このままフェスの継続が途絶えてしまうのはもったいないと思ったためである。
 そこからの行動は電光石火。富雄駅周辺にある店を一人で廻り、フェス開催のお知らせと「いっしょにやりませんか」という声かけをした。その数は150に上った。イメージしたのは「大人の学園祭」のような街フェス。
 「やるからには、できるだけ多くの人に納得してもらい、富雄の街が楽しく繋がれるようなものにしたかったので、『聞いていなかった』とか『勝手にやってるだけ』という状態にはしたくなかったのです。店の業種を問わず、歯医者さんでも、八百屋さんでも、結婚相談所さんでも、とにかく声だけは可能な限り届けました。そのうえで、参加や協力、どの程度の関わりにされるかは、各お店の自由にお任せしました。チラシを置いてくださるだけ、それだけでも嬉しいことでした」
 開催予定日まで2ヶ月しかない中で、イラストレーターの協力を頼み、ポスターやマップを作って協力店に配置したり、ホームページやフェイスブックページを立ち上げて告知したり、自分の店でもインターネット中継番組やワークショップなどのイベントを企画するかたわら、様々な調整役に駆け回る日々を送った。
 そんな彼女は、住民としては新しい。3年前、大阪府内から庭のある住まいを求めて、富雄に転居してきた。中古マンションを自分でリフォームし、友人たちを招いて引っ越しパーティー。遊び心から「メニューを作成してオーダーを受ける」スタイルで料理を振るまっていると、集まった仲間の中から、「こんなんやったら、お店したらええのに」という声が。それまで、自分の店を開く構想など全く持っていなかったが、この一声にひらめいて即座に物件探し。スケルトン状態だった今の店に巡り会うと、「ここにする!」と決めた。
 塾の講師や農業の経験もあるが、何のきっかけだったか、たまたま過去に飲食店営業許可を取得しており、もとより料理は大の得意。内装は最低限の工事だけを業者に依頼し、壁、床、インテリアコーディネートなどのほとんど全てを自分でやり遂げた。

 「何のお店かわかりやすくするために、カフェ&キッチンと名乗っていますが、本当は、飲食店がメインでなく、自宅でのパーティーのような楽しい時間を過ごしてもらえる空間を提供することそのものが望みです。だから完全予約制で」
 楽しいことが好きで少々お人よし、体当たりを厭わず裏表のない彼女のキャラクターに、次第に理解者が集まっていった。販売促進を狙うだけのイベントではなく、新旧の商店や住民がゆるやかにつながり、この日にあわせて「富雄へ行ってみよう」と思う人がやってくる、そんなフェスにしたかったという。限られた準備期間では苦労もあったが、協力を呼びかける中、この街で長年店を構える人から、「よく来てくれたね」と言われた時には、「気持ちが本物なら伝わるんだな」と励まされた。
 「不充分なところもあったと思いますが、フェス開催中にマップを手に歩く人を見かけたりすると、やってよかったなと思いました」
 いわば、街の住人による住人のための街フェス。とかく、商店街の不振が話題になることが多いが、富雄駅周辺は大型店もありながら、商店や事務所が共存している。必要なものがこの街だけで一通り何でも揃うような小振りなスケール感が魅力でもある。今年はまた一回り成長したフェスになるよう、楽しみにしておきたい。

とみおフェス2013 http://tomiofes.blog.fc2.com/

カフェ&キッチン「フランジパニ」 http://prangipani.web.fc2.com/