「だからみんなもっと、哲学を勉強したほうがいい」
人文系私設図書館ルチャ・リブロで行われた
土着人類学研究会に行ってきました。
ルチャ・リブロについては
さとびごころでも紹介したことがございます。
http://satobigokoro.org/wp/wp-content/uploads/2016/11/sataobi-27-tokushu.pdf
ゲストが奈良県立図書情報館の乾氏だったので、他の予定は入れずに楽しみにしていました。
東吉野村のルチャリブロという、周辺の景観・インテリアともにこのうえない場で、
いつも遠くから、話しかけるのは恥ずかしい、、、と思ってばかりであった乾氏の
お話がゆっくりと直接聞けて、満足でした。
乾氏は学生時代は哲学を学んでおられたそうです。
「受かると思っていなかったけど、受けたら受かってしまった」と高校の先生に。
その後転勤で教育委員会へ、そして図書情報館の開館準備室に配属。
開館したらそのまま図書情報館への配属(あまりないことだそうです)となられました。
乾氏といえば、「「自分の仕事」を考える3日間」という伝説のフォーラムを企画された方。
https://www.library.pref.nara.jp/event/talk_2009.html
わたしは鈍くて、興味がありながらも参加するところまでのパッションがなかったというオバカですが
2010年前後で、このフォーラムに県外からも多数集まってこられた方たちの嗅覚はさすがです。
年を経るにつれ、この企画のアイデアが古びることなく、むしろますます輝いて見えます。
やはり、3.11も大きかったことと思います。
どんな人であれば、こんな企画ができはるんやろう、、、、
という思いが、いつもありました。
そして、今思うのは、この方は哲学の人だからではないかということです。
何がしたいとか、どうなりたいとかいう
自分の都合にかかわることにはあまりご興味がなく
天から授かった仕事を通じて、自分の問いを掘り下げ、哲学し続ける方でした。
(わたしの印象です)
だから、、、考えが浅はかでない。
その深さには及ばずとも、、、
その方向には、自分にとって遠くないものを感じられて嬉しかったです。
本のある空間とは?
本は人がつながる最も敷き居の低い手段。共生空間。
公共図書館の役割とは?
ものを考えるときに素材となるものが揃っているところ。
奈良県立図書情報館は、蔵書の数は全国的に見て少ない(40位代)けれども
開館以来、一度も廃棄したことがないそうです。
こんな図書館がバスを乗り継ぎさえすれば行ける場所に暮らしていることを
もっと活かさなければもったいない。
(もうちょっと、通うようにしよう)
そして、図書館に「公共」と「私」があるとすれば、
「公」から「共」を離して「私」のほうへ、もっと引き寄せてはどうか、とのことでした。
公と私には、それぞれ役割があり、機能も違うので、
「共生空間としての私立図書館」「共生空間としての公共図書館」が
増えたら面白そうです。。。
なんでもかんでも「公」にオーダーし、クレームを言うのではなく
自分でつくりながら、「公」も活用していく。。。
今、マイクロライブラリーとかまちライブラリーと呼ばれるものが増えているそうですが
そのような動きに通じるものと思います。
だまって、聞いて、いらんことは言わないように、
と自分をいましめていたつもりだったのですが、
思わず、「ちょっと伺っていいですか?」と、いう言葉が口をついてしまいました。(あーあ)
乾氏って、どこなくひょうひょうとされていて、
何事にも執着がなさそうな雰囲気のある方なのですよね。
「そんな乾さんが、これだけは好き!と思うものはありますか?」
「そうですね、、、、、、うーーーーーん、、、、お酒、かな。それと、本を読むこと」
なんだか、すっきりしました。(わたしアホみたいですねえ)
お酒と、本か。いいですよね!
(ほんとはもうひとつお聞きしたのですけど、それは私の胸の中に)
問いがあるなら、知ろうとするべき。
問いをあきらめまい、と思います。
PS タイトルは、研究会の中で乾氏がつぶやかれた一言です。