森の役割

2021年04月06日

わたしは近年、人が「森」という言葉に反応する現象を不思議に思って見ていました。
 

林業は衰退産業と言われて久しく、多くの山林所有者は山を見捨てるようになりました。
「多くの」とは小規模を意味します。
奈良の森林の大きな面積は「少数」の所有者が持ちます。
その他の小さな面積を無数の「多くの」所有者が持っています。
奈良の中山間部の街でタクシーに乗った時、運転手の人(その地域にお住まいの人)が
「自分の家も、親戚も昔は林業をやっていた。いまはほったらかし。もう手遅れの山になった」
と語りました。森が見捨てられていくのを地域の人の声を通じて実感します。
運転手さんも望んでそうなっておられるのではないと思いますが
どこにも活路が見えない諦めを感じました。
 

一方で、何にでも森の名を冠する傾向があります。
森のカフェ、なんとかの森、森のように育てる、森に集う、、、
森がつくと、魅力的になることを直感的に知っているかのようです。
なぜなんでしょう。
 

かくいう私も森LOVER。
こんな気持ちを、悩みをかかえた奈良の森に活かすことができないか。
それを何年も問い続けています。
ヒントを求め、森林関係の人がおられると、話を聞くように務めています。
山林所有者の方、林業会社経営者、行政関係の方、林学の専門家、林業に就労した人、起業した人、いろんな方との
出会いを大切にし、耳を傾けてきました。
その中で感じるのは、林業関係のみなさんと
一般の「森」に反応する人たちの間には乖離があることです。
専門家にとって重要なことは、一般の人たちには関係のないことが多い。
 

もっと人が森へ出かけるようになり、森と人が近くなればいいのでは?
森の気持ち良さを実感してもらえたら。。。と思ったこともありますが
いいえ、安易にそれをするとゴミが増えるだけ。
登山者、釣り師、バーベキュー愛好家、キャンパー。
地元は、観光客として拒否したくない、だけど汚されるくらいなら来て欲しくない、
複雑な気持ちを抱えています。
 

今、森の多面的機能のことも言われていますね。
水源涵養、生物多様性、保健、木材、何でしたっけ、たくさんあるんですよね。
せっかくですので、おさらいを。
森の多面的機能

http://www.morinavi.com/japaneseforest/function

これも、本当にその通りなのですが、、、正論として繰り返されているわりには
皆伐や開発によって森が傷つけられることには誰もが無関心な(叫んでいらっしゃる方もありますけど…叫ぶ必要があるということは…)ことを一つとってみても、あまりこれらが世間の人の心にしみているようには感じられないのです(時間がかかるものなのかな)。
 

何か、だれにとっても「あたりまえ」と感じられるような
シンプルな意識が持てたら。
お互いに共有できる「森の役割」への理解があれば
なんとかなるのではないか。
それは何だろう。
 

森の民といわれる縄文の人々のことを、日頃から「知りたい」と思うのには
ベースにそういう思いがあるのかもしれません。
 

森のあるところには、生命をつなぐためのほぼ全てが揃っています。
水が湧きます。火山国ですからきっと、温泉も。
木の実、きのこや山菜もとれます。栽培も可能です。魚や動物も食べられます。
でも、厳しい面もありますから、暮らすためには一人の力では難しい。
人々は集落を作りました。助け合う(自分の得意なことを持ち寄る)ことで、一人では不可能なことを実現させ
暮らしやすさを作ってきました。
いつでも森に行ける場所でありながら、森の奥深くではなく川の近く、
けれども水に浸かりやすい低い場所でもなく、開けた台地や小高いところに暮らしています。
障害者、高齢者、猟犬としての使命を終えた犬なども大切にしました。
どんな命にも役割があり、尊いものだと知っていたのでしょう。
 

現代のような都市的な暮らしはできませんが、生きられるかどうかでいうと、生きられる。
森がなければ(先人が守ってこなければ)、日本は砂漠になっているはずです。
 

このような森とともにある暮らしの中に
幸福度の高い生き方の要素が詰まっているように思えてなりません。
自然をベーシックインカムとする暮らし方です。
自然さえ持続させれば永遠のインカムです。
自然とは、つまり森とそこから流れる川、川が運ぶ土壌です。
森の役割とは、ベーシックインカムの財源であり続けることではないのかな。
 

そのインカムを捨てた時代があります。戦後です。
今の経済は自然を捨てることによって発展してきました。
ということは、自然を取りれることを始めていけばいいのだと思う。
 
自然を取りれれば取り入れるほど、経済的にも安心できるような方向性。
使うことが消耗ではなく、豊かさを再生するような方向性。
(例 野菜を食べる、コンポストにする、野菜を育てる)
 
こういう方向性を探りながら、楽しく暮らす方法をたくさん見つけたいと思います。
自然の恵みの源が森にあることを、いつも思いながら。
そして、林業が生業でなくなったこの時代に、森を守ろうとしている人たちがいることも、思いながら。
 

我が家は、21世紀型の縄文人になろう(^^)/

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