登山好きの人の、死にかけたお話。

2020年05月28日

会いたい人に会ってお話する時間が何よりも豊かで貴重です。
できるだけ、そのような時間を作ろうと努めています。
今日はそんな一コマのお話。(記憶を頼りに書きますので不正確な部分があります)

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75歳という年齢的なことから、社会的な活動から退いていきたいと話す男性とランチを共にした。

「これからのこと?そりゃ、もう、好きなことだけするんだ」

好きなことって、どんなことなんですか?

「山だね」

そうそう、その方は山岳関係の団体の幹部をなさっているのだった。

「僕が登山を好きになったのは、もともと山が好きというところはあったんだけど
就職して間もない頃、職場の先輩から山岳愛好のクラブに誘われたことがきっかけ。
学生時代に山岳部に所属していたわけではないから、素人からのスタートだった。
遭難したことがあってね。その間、何度か死ぬのを覚悟したよ。メモに遺書も書いたもの」

登山愛好家の方、アルアルです。わたしの知る限り、登山好きの人は、多くの方が死にかけておられるし
実際に亡くなられた方もあります。危険と知りつつ、大好き。それが登山。

「若い頃(まだまだ登山経験も少なかった頃)ある年の正月休みに、職場の仲間と4人で〇〇(信州)に登ったんだ。その年は天候がものすごく安定していて、
油断があったのかもしれない。天気予報では、荒れると聞いていたんだけど、嘘みたいに天気がよかったんだ。
それが、登ったとたんに大雪で。降りるに降りられず、(屋根だけがあるような山小屋)壁のない建屋の隅で、雪を避けながらテントを張って泊まっていた。一度、降りようとしたけど道に迷い(崖っぷちにでてしまう)、また引き返して泊まる。そんなこともありつつ、
1週間くらい、遭難していたかなあ。

あいにく、同時に登山していたパーティーのテントが壊れたというので、4人用のテントに6人で寝るんだ。
それはそれは狭くてね。食料も、だんだん尽きていく。1日3食から1食へ。それもなくなると、ナッツを4粒。最後は一粒。
分け合って食べた。

ヘリコプターが飛んでいたので、遭難したことを知ってもらっていることはわかった。でも、雪がひどくて見つけてもらえない。

このままではダメだと、決断して自力で降り始めた。
もうだめかと思ったとき。夜だったんだけど、一瞬にして雲の間から星空が見えたんだ。あれば忘れられないなあ。
そして麓のほうに里の明かりが見えた。助かる!そう思って降りた」

人間が「死ぬかもしれない」という極限状態に置かれたとき、どうなるのだろうと思って聞いてみた。
わたしは、そんな状況でも食べ物を分け合う人たちをすごいと思い、どこか救われたような気がしていた。

「いや、揉め事もあったよ。狭いテントの中で、人の足が邪魔で蹴ったり、食べ物のことで自分が少ない!と怒ったり。
でも、翌朝になると、昨夜はすまなかったと言い合うんだ」

もしかしたら、相手を責めて喧嘩しても結局、何の得にもならないこと、ストレスが増すだけ命に関わることを
本能は知っているのだろうか。

「スキー客の多いシーズンだったので、スキーの山小屋にたどり着き、助けを求めた。そこで一泊。警察の事情聴取もあった。
その宿で、自分は若かったから、(何日も飢えていたため)お腹いっぱいに何食分も食べたんだよ」

わたしに、悪い予感。絶食状態から急にものを食べると体がうけつけないのでは?

「そしたら、ぶっ倒れた。そこで記憶がなくて、気がついたら病院のベッドの上だったね。
足が凍傷にかかっていた。このまま入院と言われたんだけど、職場に迷惑をかけているので、そういうわけにはいかないと頼み込み、
仲間におんぶしてもらって奈良に帰ってきた。そして職場へ謝りに行って、すぐ入院」

「足を切るって言われたんだ。

凍傷にかかった足の指から先を全部切ると言われた。それは待ってくれと。(もしそのとおりにしていたら、足の指がないということは歩行困難になってしまっていたはず)
しかし、実際に足先が消し炭のようにポロポロと崩れてきて、骨が見えてきたんだ」

骨が見えるんですか??????痛くないんですか???????

「それがね、神経も死んでいるから痛くないんだよ。だけど、このままでは破傷風になるから切断しかないと。
それで、指の付け根ではなくて、先のほうだけにしてほしいと頼みこんだ。あとからね、多少なりとも指が生えてきたよ」

ゆ、指が? は、生えてくるんですか???????????? 人間の治癒力とはすごいものだ。

驚いていると、男性は素早く靴下を脱いで指を見せてくれた。親指には爪の塊のようなものがくっつている。その他の指は、
普通よりも短く、爪もないけれど、ちゃんと指らしくなっていた。

「親指だけは、爪が戻ってきたんだが、(塊のようになっているので)切る時が大変だ(笑)」

今でこそ、こうしてカラカラと語れるのかもしれないが、壮絶な体験だ。
こんな体験をしているのに、この方は、これ以後、もっともっと登山にはまっていかれるのだった。
そして近年まで、ホウボウの山々を登ってこられた。
最近は、近いところだけというが、それでも素人からすると大変な距離。奈良市内の自宅から柳生まで歩いて、どこそこを回って帰宅。みたいな感じ。

聴き終わって放心しているところに、一言が聞こえてきた。

「あれでね、自信がついたよ。なんだか、自信がついたんだ」

若い頃の、この体験がこの方の基礎を作ったのだ。死にそうになることが、誰にでもあるような気がする。若い頃とは限らない。登山は、好きな人しかしないので、遭難事件を体験する人は少ないかもしれないが、精神的に苦しくて死んでしまいたくなる瞬間や、経済的なことから逃れるために死にたい時、交通事故、怪我、病気で死にそうになった時、いろんな瞬間に「死」を見つめることがある。
死をまじまじと見た末に、「あちら」に引っ張られずに帰ってきた人たちは、みな、どこか達観がある。

「それじゃ、これからもよろしく!」とさわやかな挨拶を残して、駅のほうへ歩いていかれた。その足の速いこと。
その人の背中は、あっという間に街の風景の中に溶けて、見えなくなっていった。

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我々は今、経済的にきつい事情があることをご存知のため、ランチを奢ってもらった。(お支払いするべきなのはこちらなのに!)
これからも、面白い話をたくさん聞かせてください。(いつかこちらで持ちます)

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