縄文文化研究の進化は、「開発」による発掘件数の増加とともに。

2018年12月14日

さとびごころ冬号(2019.1月発行)の準備中です。

テーマは3年前からあたためていた企画「縄文時代」。
奈良のマガジンなので、奈良の縄文遺跡をとりあげました。
新年というタイミングで、縄文について
考えたり気づいたりする特集になれば嬉しいです。

遺跡って、どうやって見つかると思います?

ニュータウンができる、学校ができる、道ができる、ダムができる、、、
何か開発が行われるときに、土を掘るから遺跡が出てきまです。
日本が経済大国となり 大規な開発が進んだことと
遺跡が発見され、研究が進んだことはリンクしており
逆にいえば、開発されなければここまで進まなかったということ。
つまり、今だに

縄文人は 先住民族 遅れた人々 日本人とはいえない とか

狩猟採集に頼る野蛮な人たち とか

そのように捉えられていたかもしれません。

1980年からの10年間で、発掘が増え
縄文観はこの間に大きく何度も書き替えられたそうです。
そして、1992年に発掘が開始された三内丸山遺跡(青森県青森市)は、
日本全体に縄文時代をみなおす大きなきっかけを与えました。
(岡村道雄『縄文の生活雑誌』講談社学術文庫)

経済の発展とひきかえに次々と変わっていく自然。
お金お金の世の中へと変わって行く社会。
そんなとき すでに人々は
「これでいいんだろうか」と
感じ始めていました。
わたしたちもその一部かもしれません。

縄文遺跡は、「このままでいいの?」と
教えてくれるために、現代に現れてきてくれたのかもしれないなと思います。

静かに眠っていたかったけど、あんたたちが
あんまり無茶なことするから、ちょっとだけ教えてあげるよ

と。

注目を集める芸術的な土器や土偶は
縄文中期以後の東日本から出土しています。
奈良の縄文は、関東や東北の縄文よりも
見た目は実用的です。

なぜなんでしょうね?

そんなことも、取材しながら
あれこれ考えました。

奈良の遺跡は、発掘調査が終わると埋めもどされ
ダムや競技場になっています。
主な出土品は 橿原考古学研究所附属博物館にあります。
(残念ながら年末から長期休館ですが。)

縄文文化は日本人の「日常の」ライフスタイルの原型です。
開発されていない場所にも、縄文は眠っているでしょう。
掘り起こされなくても、自然と共生した民族の歴史はそこにあります。
それを心で讃えながら
わたしたちの日常の中に、
染み込んでいる縄文に気づきながら 
大切にしながら 暮らしたいと思います。

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