「農業はね…今ひとつ、つまらないんだ」と言っていた人が。

2020年08月20日

畑活をし始めたのは今年の夏から。

うちの隊長は、大のアウトドア好きを自他共に認めており釣りに関しては「病気」である。
食べることが好き。虫でも魚でも捕食シーンを見るのが好き。
長時間のドライブが平気で、旅好き。川を見つけると立ち止まって見つめ、暑ければ浸かる。
そんな隊長は、同じアウトドア活動ではあっても、農には興味を示さなかった。

 

しかし現代文明が自然から遠ざかりすぎたことについては意見があう。そこを突破口に、
「だったら暮らしも、変えていけたらなあ、できることから、楽しんでやってみたいなあ」と、あくまでもわたしの希望をぶつぶつと言い続けてきた(意見をすると裏目にでるだけだ)。

 

災害がおこるたびに、命を守ることを考える。神戸の震災のときは、奈良ではほとんど影響がなかったので、「大丈夫だった人」の立場から「支援の必要な人」のことを思い胸を痛めた。でも、東日本の震災と原発事故以後は、あきらかに「自分ごと」になった。誰が被災しようと、それはもう一人の自分かもしれない。もう、先延ばしにしてはいけないことがある。この頃にはネットも普及しており、時間の自由がきく仕事をしているため、疑問点を徹底的に調べて暮らしていた。いったい世の中、どうなっているのか。これって、果たしてどういうことなのか。一日中、調べたりメモをとったり。。。2年間くらい続いた。

 

家やモノを失っても生きていかなければならないとしたら、命は、食べ物でしかつなぐことができない。食べ物は、農からしか生まれない。そのわりにはあまりにも農を知らない。庭もない、栽培経験もない。そう思った時、わたしは、なんとしても農を実践している人との接点が欲しくなった。2013年頃から、隊長を誘って、いっしょに農の実践現場に出かけるようになった。それでも、隊長は自分がそれをやることについては、気乗りがしないようだった。「だって、今日も明日も、そんなに変わらないでしょう?」釣りは好きなんだが。。。「釣りは、釣果がすぐにでるやん」。たしかに気が短い人ではある。

 

わたしもわたしで、一人で農にチャレンジすることにはハードルを感じていた。運転ができないからだ。
自宅に庭がない以上、農的体験をするには移動が必要。移動するには隊長の運転が必要。。。。
結果として、現場はベランダに限定される。「ほらほら、芽が出てきたよ!かわいいでしょう?」などと、感動をわかちあおうとしても、「、、、、、、、。わからん」と言っている人を前にして、道は遠いなと感じていた。それでも、知人の農的活動をボランティアとして手伝うようになった。動機は「農」よりも、知人を手伝うほうにウエイトがあった。でも、そこで体験すること、見にすることは隊長が農に近づく布石になっていった。

 

今年はコロナ禍で、社会の動きがストップした。おまけに隊長は退職もした。自由になった隊長と、もともと自由人のわたしは、二人で「気になる人・行きたい場所」へ(自粛モードの中、社会に配慮しつつも)出かけることが増えた。

 

農の実践者にも会った。そこで、隊長も何か感じたらしかった。面白さと、難しさと。

 

わたしは、隊長の性格からして、「因果関係の妙」がわかると工夫したくなる(釣りもそうだ)から、農には向いている素質もあると思っている。そうこうしている間に、「一畝くらいなら、やってみたいよね」という会話が生まれるようになったとき、神様はチャンスをくれたのだった。

 

理屈として農が大切だということを誰もが反対はしないと思うし、隊長だって農福連携など、仕事のうえで農と接点がなかったわけではない。けれど、実際にやってみるというのは別の話だ。畑にたつと、わたしたちは無知な素人にすぎない。本で読んだ知識もまだ実践したことがないことばかりだ。

 

土の香り。踏みしめる感触。草の勢い。毎日のように分解が進んでいく刈り取った草。苗を植えたら、ほんとに育つ。タネを植えたら、ほんとに芽生える。ひとつひとつを新鮮に感じながら、毎日畑に通う。やりすぎて嫌にならないように、自分たちのモチベーションを広げつつ、やること、やる場所の範囲がわずかに広がっていく。

 

ここまで書いてみて、農に対していよいよ興味を持ったのは、土への恋しさだったのかもしれないと思う。土とは菌の塊だ。自然から遠ざかるということは、菌から遠ざかるに等しい。菌ちゃん生活がしたかったんだな、と思う。畑活は、我が家の菌ちゃん生活への扉になりそうだ。