奈良のコットン
好きなサイトのひとつにcotogotoというのがあります。
そこをふらふらと見ていましたら、
奈良の靴下を見つけました。
オーガニックガーデンという。。。みたことあるロゴ。
そうだ、わたくし、こちらのセーターを持っていました。(ちょっと高かったので今も大事に着ています)
そこから、いろいろとつながっていって、面白かったのでメモします。
オーガニックガーデンを調べてみると
広陵町にあるヤマヤさんというメーカーさんが事務局の
組合でした。
colocalにも取材されていらっしゃったとは。
ヤマヤさん、一度は危機に瀕した会社を、努力して再建されたのですね。(コロカル参照)
自社ブランドもお持ちで、「Hoffman」。
あら!ならまちにお店もありますね。→ 糸季(しき)
お友だちを誘って、行ってみたい。
靴下は、いいものを使うと違いますよね。
安物買いも十分経験してきたので、そのぶん、いいものを使うと違いがわかります。
きっと、こちらの靴下もすごくいいんではないかと、期待できます。
また、奈良の靴下で頑張っているブランドを他にもいくつか知っていますが、
どれも応援したくなります。地場産業として、廃れてほしくない!
奈良県民こそ、奈良の靴下をはきましょう。
あ、そうだった、今日のタイトルは、靴下じゃなくて、奈良のコットン。
わたくしが説明したかったようなことが、糸季さんのブログに書いてありました。
これこれ、このお話、若い人は知らない方も多いのではないでしょうか。
糸季の本社は奈良県広陵町にあります。
約100年前より靴下の生産をしており、現在では日本一の生産量を誇ります。
時々、お客様より「広陵は靴下有名よね」という嬉しい言葉をいただきますが、
もう少し知名度を上げたいところです。
奈良県の人でも広陵町がどこにあるのか知らない…なんてことも。
地図は調べるとすぐにわかるのでここでは割愛しますね。
では、なぜ広陵町で靴下産業が発展し、今も続いているのか。
…どうやら気候が大いに関係しているようです。
広陵町の地図を見てみると、一つ特徴があります。
それは「ため池」が非常に多いこと。
今でこそ住宅地のために埋め立てが進んでいますが、数十年前の地図にはいたるところにため池が。
ため池が多いということは、つまり「雨が少ない」ということです。
貴重な雨水を貯めるため、かつてため池が多く作られました。
雨が少ないのは生活に大きく影響します。
当時は農業で生活を支えていたため、多くの水を必要とする稲作があまり発展しませんでした。
しかし江戸時代になると、貨幣経済の普及により状況が大きく変わります。
米だけではなく、お金になる特産品の生産が全国的に始まったのです。
そんな中、この地域で栽培されたのが「綿」でした。
少ない水で栽培でき、すぐにお金になる綿は、多く栽培されるようになりました。
この辺りで栽培される綿は「大和木綿」と呼ばれ、「大和絣」など布製品も有名になっていきます。
こうしてこの地域に繊維産業の基盤ができていったのでした。
ここで、俄然紹介したくなってきますのが、さとびごころの記事です。
江戸時代、奈良でさかんに作られた木綿を船に乗せて大阪まで運ぶ流通経路が大和川でした。
また、木綿は多量の肥料が必要な作物なので、大阪からは肥料が運ばれたのでした。
王寺町の岡島先生が書いてくださっています。
PDFはこちら。特集の二番目の記事です。http://satobigokoro.org/wp/wp-content/uploads/2016/07/26tokushu.pdf
そして、近代になって、繊維産業はとてもさかんになります。
再びさとびごころですが、「100年前の奈良」という特集の中(多様性に満ちていた小盆地小宇宙の暮らし)で
往年の様子が、ちらりと載っていますよ。大和高田の大和紡績が後のニチボウであるとか!
靴下の話から、奈良のコットンのことを考えてしまいました。
奈良がふたたび綿の産地に戻ることは、ないのかもしれないけど、、、
あったら素敵です。
とりあえず、靴下は応援しよう。
このごろ、冷え取りが流行しているおかげで、靴下を履くことが普通になってきました。
冷え性のわたしとしてはありがたい流行です。
次に買うのは、オーガニックガーデンかな?