まちに森を

2014年06月19日

森が好きなのは、理由はなくて、子どもが小さかったある日
台所にいるときに、降って湧いたように「森は悲しいんちゃう?」と、思ったのがきっかけだったように思います。

もしかしたら、ダム開発やら段ボールになるためとか、なんとか、
森はひたすら利用されたり伐採されたりするのですが
文句一つ言わないでじっと耐えてる感じがしたのでしょうか。
森に関する見識はほとんどなく、ただ駅の近くに住む新米ママでした。

今暮らしている場所を、もっと知ってみてはどうだろう。
奈良県は林業が有名だというけど、なぜなんだろう。

もともとは、まちで暮らしている限り森とは縁のないように感じていましたが
このころいろいろと発見や気づきがありました。
そもそも蛇口をひねったら水が出るのは、
上水道が整っているということ以前に
森が水をたくわえ、川になって下流へ流れてくるからだし、
森は海の恋人」という言葉があるように
海の魚介類は、そこに流れ込む川や水源の山々によって育てられていることもわかりました。

なんだか、もうちょっと森に感謝したほうがいいんじゃないの。

と思っていると、林業については「衰退」という記事ばかりでした。
それは今でもそうなのですが、地元には粘り強く努力されている方がいらっしゃいますので
わたしはそれを応援したいと思う一人です。

奈良県の森は多くが人工林。
一度手を入れた森は、手を入れ続けなければ、健全さを保つことはできません。
林業の衰退は森の衰退に直結しています。
また、里山も、人の暮らしに直結し、使ってはまた伸びるという
サイクルの中で維持される森なので、これも
人の手がかからなければ荒れていくことに。
これには、まちの住人は無関心というわけにはいかないと思うんです。

そういうわけで国産材をもっと使おう、という
動きには賛成です。
(高級木材からバイオエネルギーまで)

わたしは今日、天然林のことを書こうと思っているのですが、
人工林の多い奈良県の住民としては
まず、人工林の大切さを理解することが前提になると思ってます。
天然林を伐採するばかりで植林をしなかったならば
文明は滅びます。日本人の知恵と努力が人工林の美しさから伝わってくるのです。

それで、あらためまして、天然林のことですが。
いわゆる原始の森というのは、全国でも残り少ないないそうですので
(10パーセントとも、それ以下とも見聞します)
もし残っているなら、それはもう保護の対象になっていいのではと思います。
ここでいう天然林というのは、もともとその土地にあった(はずの)森のこと。
西日本のほとんどは、照葉樹林帯ですので、
もし、なにもしなかったら最終的には、照葉樹林の森になるのです。
それが古来の風土にあっているから。

照葉樹というのは、いわゆる「どんぐり」のできる木ですね。
シイとか、カシとか、その仲間。

これが、すっごい頼もしいのでは?と思うんですよ。

これらは根を下に深く伸ばすそうです。
だから、倒木しずらい。何百年も生き続けるのは、根の深さのおかげ。
倒木しずらいだけでなく、山崩れも起こしにくい。
コンクリート護岸よりも強いそうです。(ダムの法面におすすめ)
落ち葉が土を肥やします。
(常緑であっても、葉は更新されてます)
(杉、桧はこの点、根は浅いそうです)
保水能力もアップ。
高木から中低木が揃っている森では
どしゃぶりの雨でも土に降りてくるまでに緩和され、
土砂の流出を防ぎます。
(山の腐葉土は、水で流されたら再生するまで大変すぎる)
微生物から動物までが生きていける
命に溢れた森になります。
そして、ですね、人工林のような絶え間ない手間が不要とのことです。
考えてみたら、そうですね。原始林は人間が管理してませんものね。

昔の人は森の一部を天然林のまま残しながら
植林したと聞いたことがあります。(洞川村出身の友人から)

そんな天然林を、実は、まちに植えてはどうでしょうか?
というのが、今日お伝えしたかったことです。
これを提唱している宮脇昭氏の考えにふれて、
植林は林業者だけでなく、まちの住人がどんどんやっていい話なのだと
理解しました。

校庭、病院、各種公的施設、マンション、自宅の庭など。
高速道路の緩衝地帯。
埋め立て地の殺風景な場所。

こういうところには、見栄えや管理の都合だけで
選ばれた外来種や芝生が植えられることが多いですよね。
そして、管理費がかかり、殺虫剤や肥料も必要。

これを天然林にすると…。
さっきの話に加えて、まちの森は
防災になります。
家が倒壊したとき、庭の木に壁がささえられ
逃げ道ができたという例があります。
(根が深いから、倒れなかったのね)
火事のとき、類焼を緩和します。
(照葉樹の水分のおかげです。マツなど樹脂たっぷりの木だったら、かえって燃えるかも)

そして、宮脇先生が重要視されているのは
植林が心の故郷づくりにもなりうるということです。
これは長年植林活動を実践されてきた方ならではの
体験にもとづく実感なのではないでしょうか。

橿原バイパスのどこかに、かつて小学生が植林した場所があるそうですよ。
その当時の小学生は今では親となり、
子どもたちに「ここはママが植えたのよ」と語っているそうです。

ちょっと感動しました。

わたしは、樹木の安らぎ効果についても、大変関心があります。
正直いうと、安らぎ目的だけでも植林する価値があると思っちゃう…。

木が三本あったら、それは森なんですって。
広大な場所でなくてもいいから、木を植えましょう。
そうすれば、まちに(小さな)森を、たくさん、作ることができるでしょう。

どんぐりを拾ってみようかな?
この本では、
まるでお料理のレシピを読むような懇切丁寧さで、
植林の手順が解説してあるので、まねして植えたくなってくるんですよ。

参考

宮脇昭「木を植えよ!」新潮社

PS まったくの自然にまかせると天然林ができるまでには100年かかるそうですが、ポット苗にして植林し、ある程度育つまでケアすれば、20年ほどで森になるそうです。これも温暖で雨の多い日本だから可能なこと。ほんとは、わたしたち、ものすごく恵まれているのです。20年だったら、生きているうちに森が作れる?!