「毛皮を買わなければ・・・」

2015年11月07日

毛皮を買わなければ救われる命があります

ある会合に出かけた際に、近くにあった人気のないフロアーに展示されていたものです。
ブログに上げるためではなく、思わず撮っていた写真です。

読めば、誰でも切なくなるでしょう。

毛皮を使うことが、その民族の風土に合い、文化であったなら、
他の文化圏のものがとやかく言うことではないと思っています。
この地球には、狩をして、その動物の肉や毛皮を貰って生きてきた人たちがいます。
それは、生きるためであって、お金儲けのためではないですね。
動物が生きていける環境があるから自分たちも食べていけるわけで、
無茶なことはできません。

でも、趣味やお金儲けのための毛皮は、無茶が起こりますね。

わたしも毛皮の襟巻きを一つ、持っています。キツネだそうです。
大学を卒業する頃、実家には戻らない私の意思を良く知っている母が
買ってくれました。
それは、どんなに寒い日でも外出が億劫にならないほどに暖かいです。
わたしも、この毛皮を買った母と同じくらいの年になり、
母がどんな思いをこめていたかを思いはかることが
できるようになりました。
この毛皮のために殺されたキツネは、どんな殺され方をしたのでしょうか。

わたしは一生毛皮を買いません。
たとえ、安価で売っている襟巻きのうさぎの毛でも、
おそらくひどい扱いを受けて殺されたのではないかと想像できます。
そうでなければ、安く流通するはずがないと思えます。

そして、せめて、母から譲りうけた毛皮の襟巻きを
死ぬまで大切に、大切に、使いたいと思うのです。

毛皮、宝石、ファストファッション・・・それだけでなく
とこか遠くから運ばれてくる、末端価格が高価なもの、市場が巨大なものには
悲しい物語が隠れていることが多いものです。
末端の商品やサービスからは直接想像できず、
むしろ洗練された広告のほうが印象に残ります。

でも、今ならネットで調べれば
いろいろと知ることができます(信用性は自分で判断しなければなりませんが)。

どこか遠くのよくわからない要素が含まれているものより
できれば、作った人の人柄を含めて好きになれるモノを選ぶような
そういう暮らしへと、一人、また一人とシフトしていけたらいいですね。