縄文の人々は農耕をしなかった。

2016年01月08日

昨日書いた三内丸山遺跡が特集された番組がありました。

ご覧にならなかった方のために・・・

【NHKスペシャル】アジア巨大遺跡・第4集 縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~

ありがたいことに、インターネットのおかげで
簡単にこのようなサイトが見つかってしまいます。
ありがとうございます。

http://ameblo.jp/skyblue-junior/entry-12093566667.html

このなかで、わたしがひとつ、プチ感動したことがありました。

同じような時代に世界では農耕が始まっていて、
農耕の始まりは文明の始まり、というふうに教わりましたよね。
「このころは、まだ日本なんて縄文時代ですよ(世界のほうが進んでますよね)」
的な非言語メッセージを、なんとなく、わたしは受け取っていました。

しかし、日本人はあえて農耕を受け入れなかったということを
この番組では紹介していたのです。
先ほどのサイトから、この部分を引用させていただきます。

・さらに世界が注目するもう一つの大きな謎がある。同じ文化が驚異的に長く続いたということだ。縄文文化は三内丸山から出現するはるか以前から始まっていた。しかも世界の他の地域と異なり狩猟採集を生活と基盤とし、農耕に移行することはなかったのだ。
・西アジアや中国が狩猟採集生活から農耕生活に変わっていったのは約1万年前。その後、文明を生み出した。一方、縄文は1万年以上に渡り狩猟採集生活を変えることなく、独自の社会と文化を持続させていた。これは世界でも類がない。
・縄文時代、農耕は既に大陸から朝鮮半島にまで伝わっていた。しかし日本列島で広がることはなかった。狩猟採集民が多くの人口を養う持続可能な社会を作り出し、縄文人はあえて農耕を受け入れなかったとダイアモンド教授は考えている。

10000万年前の日本は、朝鮮半島との距離が今より近かったそうですし、
大陸からの農耕文化が入ってきても、おかしくなかったのではないでしょうか。
海に隔てられて文明が届かなかったのではなくて、
あえて農耕をしなかったのではというのです。

なぜでしょう?
なぜだと思いますか??

競い奪いあわなくても、豊かに食物があったから。
自然を壊したくなかったから。
(このあたりは自由に想像して楽しませていただきます)

狩猟採集というと、貧しいイメージがありますが、
三内丸山遺跡では、巨大な栗の森を維持管理して集落を作り定住していました。
(キャパ300人もあるセンターのような建物もあったほど)
数万点におよぶ土器もあります。
装身具もたくさん見つかっています。貧しくないですよね。

餓えることなく、おしゃれも、アートもやって、みんなで暮らす。
農耕というのは自然破壊でもありますが、それもしないで。
10000年以上も、持続。
わたくしから見ると、天国です。

日本人が、ここを原点としているということを
もっと自覚していいと思いませんか。
その後に始まる弥生時代(紀元前3世紀あたり)から21世紀の今まで
まだ24世紀しかたっていませんが、
縄文は130世紀(諸説あり)は続いたのですから。

130世紀!

わたしたちの精神に、残っていないはずがありません。
ただ忘れているものが、たくさんあるはずです。
思いだしたい。目覚めたい。

今に活かされるような気がします。