日本は農耕民族の文化?

2016年01月11日

前回の記事で引用した本の中には
いろいろと「ですよね!」と思うところがあります。

自然と共生する日本人の文化の基調は、農耕以前にできていたのではというお話です。

 縄文時代一万年の間、自然の恵みの中でゆっくりと文化を進化させてきたことが、今日まで日本人の生き方、考え方の根底にあります。日本文化の基礎旋律ともいえる自然への畏敬の心や、山や川、巨大な樹木に神を見る感覚。全ての生き物を自分たちと同じ生命と感じる心をつくってきたのは、私たちの祖先が、自然とともに生きたこの長い時代の大きな恩恵によるものです。
 一方、今日の日本の文化は極めて農耕民族のそれであり、従ってこれは全て後に日本にやってきた弥生人のものである、という学者もおられますが、私は、それ以前に日本人の自然と共生する文化の基調はできていたと思っています。
 こうして日本人の祖先たちが、豊かな自然の恵みを生きる手段として選んでいた頃、より乾燥した厳しい自然と向き合っていた他の地域では、人々は自然と闘い、自然に人間の力を加えることによって、これを支配して生きてゆく姿勢を強めていきました。

そして、旧約聖書を引用したあとで、このように書かれています。

 この「絶対なる神」は「地球の創造者」ですから、地球上で生まれた神ではなく、「宇宙」に存在している神であって、他の多くの地球の誕生とともに生まれた神々とは異なった性格の神ということになります。世界中に多くの創成の物語がありますが、これほどはっきりとそのことを記して、また、その神に似せて創造された人間が、「神の代行者として、神のつくられた地球上の、他の全ての生き物を支配することが、神の御意思である」ことを明記しているのは、このヘブライ人(ユダヤ人)の経典だけではないかと思います(他の経典を全て読んだわけではありませんがら、間違っているかもしれません)。
 後にキリスト教とイスラム教の聖典にもなったこの旧約聖書の叙述は、後の世界に実に大変なインパクトを与えたものだと思います。

キリスト教文化圏の人々に、日本は敗戦し、日本=だめ、アメリカ=正しい、という文化的な再構築の中で70年の時間が流れました。イスラム教は世界で一番信者の多い宗教だといいます。地球上で多くの人たちが「自然は支配するもの」という前提で考えておられます(考える以前に、そういうものなのでしょう)。

いくら敗戦したからといって、そしてわたし自身もそうですが、西洋風のいろいろなことが「おしゃれだな、かっこいいな」と感じる感性を否定することもありませんが、この日本の文化の基調をあけわたすことはありませんよね。
わたしたち日本人には、この自然が与えた気候風土と、それと共生してきた10000年以上の実績があります、なんて、企業のコピーみたいですけど。

「自然を壊してもいい」という宗教に改宗させられてきた、と仮定してみてはどうでしょう。

わたしたちは、縄文人たちの末裔。
わたしは、それを誇りに思います。
世界では先住民族の文化は消えています。資源のある国は特に・・・。
わたしたちは、弥生人、帰化人、宣教師、明治維新、敗戦という外来文化の流入に遭遇し続けながら
今でも日本人のままでいられています。それが今、あぶないとも言えますが・・・。

縄文の人たちが何を大切にしてきたか、どんな知恵をもって暮らしていたか、興味が膨らみます。