お気に入りの手作りに出会うのは楽しいこと。
東吉野村に「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」という場所があります。
私設図書館なんて、素敵。と思い、時々訪ねています。
そこの司書のMちゃんが、このほど、手芸好きと判明しました。
わたしが「ヤラレタ」のは、この手ぬぐい。
この美味しそうで楽しそうなデザインが気に入りました。
実は、これ切り絵がもとになっています。(それも見せてもらいました。)
ほかにもいろいろあり、はがきサイズのカードになっています。
いいなあ。
Mちゃんのことが好き、というのも動機になっていますが、好きな人が好きなことをして手作りしたものを見ると、
つい、買いたくなるのです。買いたくなっても買わないこともありますが、今回は買いました。
嬉しくて、(使えず)飾っています。
大量生産品を簡単に変えてしまうだけに、作った人の思いがわかる手作り品がとても良く感じます。
わたしは手芸が苦手なので、だからこそ得意な人の存在が嬉しい。
夢としては、、、、食器、服、かばんなど、いろんなアイテムを
大好きな作家さんが作ってくれたものにしたいくらいです。
大好きな「メーカー品」もありますけれども、そういう場合も
メーカーの哲学やストーリーが感じらないと買っても空しい感じがするのです。
使い捨てたくない。ずっと愛用したい。だからこそ、精神的な満足感とともに買いたい。
お金があってもなくても、気に入ったものを買う人は素敵だと思う。
自分の「好き」を知っているということが。
わたしはお金がなかった頃は、無理して気に入ったものを買いませんでした。
買える範囲で、なるべく気に入ったものを買う人でした。
でも、それだと、なかなか、本当に長年愛用することはありませんでした。
今は少し変化して、「少しくらい高くても買える範囲で」というふうになってきた。
安さだけを条件にするのは、ちがうなあと。
仮にわたしの財布にとっては高く感じても、その品物がそれだけの価値があるなら
それは高くないですし。
帽子屋さん、靴屋さん、魚屋さん、八百屋さん、服屋さん、、、
子どものころは、ひとつひとつの専門店が町に並んでいました。
そんな町がいいなあと思う。
そんな気持ちを味わえるのが、今はマルシェではないでしょうか。
マルシェは今、イベント的に行われていますけども、もっと当たり前になって
ありふれたものになって、暮らしの中に溶け込んでいくといいなあと思います。
しょっちゅう、どこか近所で、上質の手作りマルシェ・・・。
ふらりと寄ってみたくなる。
そこで「どき!」とするものに出会う。作り手と話す。
「へえー!」みたいなエピソードを聞く。
そんなお買いもの、楽しそう。
わたしは脳内マルシェを構築中で、、、
「あれを買うならこの人から」
「あれを買うならこの店から」
というリストアップをして遊んでいます。
好きなことをしている人がいて。
それを買いたい人がいたら、経済活動になりますよね。
お互いに、好きなことを売ったり買ったりする循環が生まれないかなー。