下北山村を訪ねました。

2017年09月06日

奈良市民にとって、一番遠い村、下北山村。
通常の暮らしをしている範囲では、あまり縁がないかもしれません。
世界遺産「大峰奥駈道」の里、とよく言われますが、、、修験道や登山に縁がないと、それもなんとなくピンとこなくて。
(いやいや、役行者については、またじっくり考えたいのではありますが。)

天理から桜井、明日香村、吉野町、、、吉野林業地である川上村をさらにこえ、上北山をこえ、やっとたどりつく村。
奈良県というよりは三重県と接する熊野文化圏です。

そんな下北山村からぞろぞろっと、「明日の奈良の森を考える学習会」(当オフィスも協力させていただいています)に
10人近く参加してくださったことがありました。その日のテーマは自伐林業。
下北山村には地域おこし協力隊として自伐林業に取り組む人がいることをリアルに感じました。

その中で出会ったのが、村の職員、産業建設課の北直紀さんという若者でした。
産業建設課が林業関係のセクションでもあるとのこと。
http://www.vill.shimokitayama.nara.jp/yakuba/yakuba2-3.html

村で生まれ育ち、県外の大学に進学し、奈良市で中学校の先生を経験したあと
村に戻ってきて、今役場職員。交流会でそんな話を聞いて、
「一度ゆっくりお会いしたい」と思い、先日訪ねてきました。

きなりの湯がある下北山スポーツ公園には、数年前、さとびごころの交流会があり使わせていただきました。
温泉にはプライベートでも遊びに来たことがあります。ですが、そのムコウ側まで行くのは今回が初めて。
北さんと待ち合わせた役場は、下北山スポーツ公園から車で20分ほど先の寺垣内という地区にありました。

北さんが幼い頃は林業も盛んだったといいます。
その衰退を子どもながらに感じたのは、林業関連の仕事をしていたお父さんが
仕事をたたんだときでした。

山村の子どもたちは、高校進学とともに村を出るのが普通です。そして
多くは、村に戻ることはありません。北さんは、橿原市内にある寮に住んで高校に通学しました。
大学卒業後に、奈良県内で就職しようと思ったのは、やはりどこかでいつか村に戻るかもしれないとう予感があったのかもしれません。
一度は教職を目指し、講師の立場で中学校で教壇に立っていたとき、村で職員募集があることを知り、応募して採用されたのが2011年。
就職して半年後に、紀伊半島の大水害に逢いますが、下北山村での被害は少なかったそうです。

村にもどってきて感じたこと。
「これだけの木があるのに、なんで?出さへんの?」という思い。

かつての拡大造林によって、村の山のほとんどは杉桧に変わりました。
ただ、下北山村では、いわゆる吉野林業地(川上村・東吉野村・黒滝村)とはことなり、
昔から皆伐型の林業なのだそうです。

下北山に来るまでにも、山の斜面全体が丸坊主になっているところを何ヶ所も見ました。
「割に合う」素材生産業としての林業を行うならば、こういうかたちになると、知人の林業家は言います。
間伐しながら有力木を100年、200年のスパンで育てていく吉野のような林業はこの村にはないようでした。

皆伐しないで、山を痛めずに、経済活動としても成り立つ林業として注目されているのが自伐型林業です。
奈良型作業道という方法で支障木を伐りながら道をつけ、
伐った木を出荷したり、道の素材として使いながら生かします。
作業道づくりそのものが、林業とリンクしています。
一定の講習を受ければ、林業未経験者でも参入でき、今じわじわと全国で取り組みが広がりつつあります。
ヘリコプター集材のように高いコストをかけず、
2トントラックが行き来できる道をつければ、あとは何度でも使え、
間伐材を運び出すことができますし、長年にわたって山林管理ができます。

昨年のこと。これからの村、これからの林業を考えたとき、北さんが考えたのが自伐型林業でした。
自伐型林業振興協会にコンタクトし、村でシンポジウムを開催。
地域おこし協力隊として自伐型林業の希望者を募り、
今年1月から、清光林業の岡橋清隆氏を師匠に招き、林業経験のない若者たちが奈良型作業道づくりの実習に取り組みました。

「お時間がよければ、山を見ます?」

と、誘っていただき、役場の近くにある山を案内していただきました。
すると、チェーンソーの音が聞こえてきます。林業の取材をするといつも思いますが、
山に、働く人の気配が感じられると、活気が漂うものだなと思います。

やってる、やってる。

作業道づくりの真っ最中だったのは、こちらのお二人。

二人とも地域おこし協力隊。今年1月から林業を始めたばかりだそうですが、すでにチェーンソーの扱いに安定感が(^^)

「彼らの3年後の自立のことを考えていかなければなりません」と北さんがつぶやきました。

地域おこし協力隊の任期は最長3年。任期が終わると村を出る人も、そのまま移住する人もあり、この制度は、地域振興を兼ねたお試し移住の制度とも言えます。協力隊の将来を役場の人がともに考えていらっしゃるのは素晴らしいと思います。
下北山の木は、吉野方面ではなく熊野方面に出荷されるそうです。
また、バイオマス発電所に出すこともありますが、距離が遠くて大変だとも。(下北山村→大淀町・・・たしかに)
木の生かし方も懸案事項です。

「村には、製材所がないんですよ」

おもわず、「え?」と聞き返してしまいました。そうなんですか。

「昔はあったようなのですが、今はなくて。それで、村であらたに製材機を買いました。製材所を運営してくれる人を公募して、
村営の製材所もスタートする考えです」

自伐型林業家は複業をもち、それらを組み合わせて生業にする人が多いです。
地域おこし協力隊の彼らもいつか、そんなふうに独立していくのかな。

そういえば、村には「道の駅」もないし、「ゲストハウス」らしいものも、おいしいレストランも、ないんですって。

いえいえ立派なスポーツ公園がありますから、そこが道の駅機能を兼ね備えてはどうでしょう?
また、お金を投じて宿泊施設を作るよりも、古民家を利用したり、民泊する人を発掘したり、、、
できるだけ、ありのままの下北山の魅力を生かしてもらえたら、、、だけど、ちょっとお洒落で、若い人がわくわくするような、、
などと、素人考えで望みます。
いわゆる都会っぽいものは都会にあればいいのでは?
都会にないもの、下北山だからこその宝モノを、どうか大事にして地域活性に生かしていただきたいと。。。

そう思っていると、眼下には清流が流れていました。

「これが、僕が毎日遊んだ川です」

と、誇らしげに教えてくれました。池原ダムにつづく支流。この上流にはもうダムはなく、あゆが生息しています。
こんなあたりまえの川が、まだ残っているならば、もう壊さない方法を考えて欲しいと願うばかりです。

北さんが生まれた頃には、池原ダムはすでにありました。
ダムのおかげで財政的には助かっている事実はあります。

「でもね、ダムのない村を見てみたかったなあって、、、、ちょっと思うことはあるかな。
でーっかい魚が釣れたって、聞くんですよね」

そんな気持ちをいつまでも大事にして、下北山の美しい未来を作ってください、北さん。
また行きます、下北山村!

PS 

バス停がかわいい。雨宿りできる。

バス停の近くに咲いていたゆりの花

途中にあった明神池(七不思議の伝承があるとのこと)

池の向いにある神社「池神社」