お盆

2018年08月14日

おさない頃、わたしはいつも祖母といっしょにいた。
気の短い兄がすぐにわたしを叩くので、祖母はいつもわたしをかばってくれた。

 

祖母の買い物について行くのが好きだった。お盆になると、祖母はおがらを買った。
実家の庭の、植栽の足下が送り火、迎え火をする定位置。
暗くなると、おがらをポキポキと折って、マッチで火をつける。
いつのまにか祖母は大広間の床の間に、段を設えており、普段は仏壇におさまっている位牌を並べた。
小さなお膳にままごとのような食事セット。
いつもは炊きたてのご飯だけをお供えするのに、お盆の間は、仏様には正式なお膳をお供えした。
段の手前には提灯も並ぶ。コンセントをつなげて点灯すると、くるくる回り涼しげで綺麗だった。
おひな祭りのときと似ているなあ。でも、線香の香りがするし、おひな様もいないから、
これはおひな祭りではないんだろうなと思っていた。
迎え火に灯がともると、「おとうちゃんが帰ってくるよ」と言った。

 

その意味がわからなかった。死んだ人が帰ってくるなんてありえないのは子どもでもわかった。
でも、そういうことになっているんだろうな、そうすることで思い出すんだろうなと思った。

 

霊的なことは信じているほうだが、具体的に父が今どうなっているのか、もうとっくに誰かとなって生まれ変わっているのか
さっぱりわからない。
おさない時も、父を霊として感じたことはない。お盆は、父を迎えるというより
仏壇が立派に飾られ親戚が多く訪れ、家がいつもと違う雰囲気になる数日間だった。
お盆が終わると、お供えものを近所の川へ持っていくことになっていた。
祖母は、それを終えると「終わった」と言って、
日常の気持ちへと切り替えるのがわかった。
祖母にとっては、まだまだ働き盛りで死んだ夫と、若くして死んだ長男を
弔う儀式だったのだろう。
 

マンションで暮らしていると迎え火や送り火をする場所もなく、またそんな気持ちにもなれず
大人になってからは一度もしたことがない。
 

それも、味気ないなあと、このごろは思う。
火事にならないように、お皿の上などで、小さな小さな迎え火や送り火をしてもいいのかな。
習慣としては失っているので、来年のお盆がきてもコロッと忘れるかもしれない。
だけど、今は、お盆らしい時間を作ってみたくなっている。
キャンドルでもいいらしい。要は「火をともす」ことが大事なのだろう。
「火」というものは、意味深い。
 

実家へ墓参りに帰るのは、もう少し先になりそうだ。
 

母が、お寺の和尚さんから聞いた話では
お墓参りは今生きている人のためのものだという。
死んだ人は帰らないけど、その人と対話するということは自分との対話と同じ。
自分と対話し、感謝したり願いをこめたりする時間がお墓参りなのだと。
そんな時間を、わたしは生活の中ではもうほとんど失っている。
 

だからお盆の間くらいは、一人の時間を使って、父や先祖のことを思ってみる。
祖母が、お盆らしい思い出を残してくれたことは有り難い。
 

おかげさまで元気にしています。
子どもたちも大きくなりました。それぞれ、(たぶん悩みながらも)自分の道を歩いています。
わたしたちも年をとりました。
そろそろ、「いつかはそちらに行くんだな」と思うことも増えました。
まだ体が動くうちに、悔いのないように暮らし、
あとしまつをきちんとして終わりたいと思います。
あとしまつの準備がこれからの日々になるのだと思います。

 

お盆休みを使って(渋滞の中を帰省するのではなく)毎年のようにどこかへ出かける。
いつも「田舎」と呼ばれるところへ、人ごみから逃げるように出かける。
その行く先で、数年前まで行われていた盆踊りが途絶えていくのも見かける。
だから、今でも続いている所があるとほっとする。

 

昔、わたしの生まれた町でも、盆踊りがあった。
町内会からの命令で、盆踊りを踊らされていた。
町の中心となる商店街を踊って歩く。
疲れてくると腕が重く、足が痛かった。
でも、大人たちはそれを見るために沿道に並んでいたし
人出を目当てに屋台も並んだ。夜の町に提灯があふれて、賑やかだった。
それが全く消えてしまうとは、当時は思いもしなかった。

 

明るくて、楽しそうな盆踊り。

 

でも、その裏側にある供養の心。

 

悲しいことを、弾けた楽しさで包むのが盆踊りなんだと思う。

 

今夜もどこかで、盆踊り大会があるんだろうなあ。

 

《おがら》
おがらとは皮を剥いだ麻だったと知ったのは、後のこと。日本人と麻との長く深いつながりをここにも感じる。