林業というより「森」という言葉に反応する人たち

2019年08月27日

この頃、おしゃれな空間や場所に「森」がつきものになっているように感じる。
森のなんとか、、、というと、ちょっとおしゃれで自然派のイメージ。

同じく森関係の言葉に林業がある。こちらは限られた人が関心を持つイメージ。

この違いは何なのだろう。

いつも日本に生まれてラッキーだったと思っている。文明は森を失って滅ぶというが、日本が森を失うことはあり得ないと思っていた。
今は少し危機感がある。それでも、グーグルマップで見る日本は緑一色だ。

その森があるから、「湯水のごとく」という言葉があるように水はタダ同然と思われてきた。
その森があるから、川が運んだ土のおかげで農地がある。農地を潰して、市街地が広がり都市になった。

人口は市街地(都市)に集中する。都市では森のことなど忘れて暮らすことができる。
多数決をとったならば、森に関心がある人、ない人、結果は簡単に想像できる。
農業は食べ物という必需品で都市とつながっている。歴史がどう変わっても、食べ物は農業なしには手に入らない。
石油を加工しても食べ物は作れない。
けれど、森と人をつないでいた木は、石油由来の物に取って変わることができた。あたかも森に頼らなくても文明が維持できるかのように思っていると、、、、森を意識せざるを得ないことが起こり始めた。地球温暖化もその一つ。ある研究によると、地球上の全ての空き地に植林すると、バランスを取り戻すらしい。
林業の衰退とともに、散々植林した人工林が放置され、土砂が流れ、崩れやすくなっていると専門家は言う。森林の適切な管理が叫ばれる。
そして、日本中の川という川に作られたダム。生態系を変え、土着の産業や暮らしを変え、流域の水道代を変え、場合によっては洪水も招き、日々、土砂で埋まっていく。森林にはダム機能がある。それを壊して、人口の大規模なダムを作り続けてきたことは間違っていたと思う。

森林の悩みは、山村の悩み、林業の悩みだ。森林が忘れられていると、都市の人は、そこにどんな悩みがあるのかを知らないし、「解決していこう」という気持ちにはならない。

私は、安泰だと思っていた(思いたかった)日本の豊かな森は、今たまたまそうなのであって、壊そうと思えば壊れもするナーバスなものだと認識するようになった。それだけの土木技術もある。開発や発展のためであれば、森を無視することは「仕方がない」と、多くの人が思うだろう。これからも森は、大多数の人にとって遠くて、関係がなくて、どうなってもよくわからないものであり続けるのだろうか。

だけど、「森」という言葉には反応する人が多い。増えつつあるように感じる。

知識だけでも、スタイルだけでも、始まりはなんでもいい。
森が好きな人が増えた時、適切な情報に出会えば、林業や山村が抱える課題が自分たちに関係があると理解しやすくなる。
私はそこに希望を持っている。ただし、ロハスブームのような、表層的な流行に終わらないよう、本質的な理解が進んで欲しい。

森とは自然を象徴する言葉だと思う。人口的なもの、お金に換算できるものに囲まれて暮らしていると、喉が乾くように、忘れていたことを思い出すように、自然を求めるものなのだと思う。なぜなら、人間も自然の生きものだから。

林業の衰退をどうにかするのは林業関係者のミッションかもしれない。
木を高く売る経済を作るのは木材産業関係者のミッションかもしれない。
消滅の危機にある山村をどうするかも、その山村のミッションかもしれない。
それらと直接の関係がない都市住民も、「自然環境」という意味ではつながっている。
森を思うことで、ミッションの解決のために風を送ることもできる。
それには多少の知識も必要だと思う。森に関心があれば、知識を得ることは喜びになる。

山のほとんどが、なぜ杉や檜ばかりになっているのか。
森を守るために、木を使えばいいのか。使わない方がいいのか。
その木はどこからきたのか。その水はどこからきたのか。この土地はいつからこうなっているのか。
今、森林は誰が管理しているのか。森を流れる川はどうなっているのか。生きものたちはどうなっているのか。
日本の政府は今、森林のことをどう考えているのか、どうしていくつもりか。
森林の専門家や、業界の人は、どう考えているのか、どうしていきたいのか。
知りたいことが増えていく。

都市では、何でもお金で買わないと手に入らない。
豊かな森と水と土壌のある未来へと、矛先を向けたいなら
消費行動を「考える」ことだと思う。本当に、それを買うの?もし変えたいと思ったら、実際に変えること。
今変えられなくても、望むこと、機会を待つこと。

わたし自身が歩いてきた道のりでもある。
今は、奈良の森の未来に関心のあるひとたちと出会い、意見をうかがったり、一緒に考えたりしながら
適切な情報を分かち合えるように努力している。

自分が正しく、周囲が間違っていると思っているのではない。
わたしも、豊かな森と水と土壌のある未来を望む一人であり、自分にできることをしたいだけなのだ。

明日の奈良の森を考える学習会
第11回のテーマは、「絶望の林業」
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