山の中の一軒家に一人で暮らすおばあちゃんと神社

2020年01月21日

山の中にポツンと一軒家があるのを見つけて現地に行ってみる、と言う番組がありますよね。

 

先日、ふらっとテレビを見ていたら(時々見ます)、取材地が故郷の島根県だったので、最後まで見ていました。

 

あてになるのはグーグルマップのビュー画像。それをプリントアウトしたものを携え、取材は記者のお兄さんとカメラさん、二人でやっているようです。だいたい近いところまできたら、田んぼで仕事しているおじさんに画像を見せて、聞いてみます。
「ここに行きたいんですが、、ご存知ですか」
「ああ、●●さんのところだ」と即答。「郵便局に勤めとったから、わかる」とのこと。
そして「口で説明してもわからんやろから、連れて行ったる」と先導してもらうことに。その途中で、誰も住んでいなさそうな山の中に神社があり、数名の人が何か掃除のような作業をしているところを通りかかるのですが、これが後で大事な場所になってきます。道はどんどん山の中に入り、タイヤが落ちそうな崖の上の細い道を走ります。この番組ではよくみるシーン。

 

行ってみると、留守でした。しかも、どうやら違う。屋根の色が、マップにあるもの(オレンジ色)と違うのです。困っていると、漁師のおじいさんたちが通りかかりました。そこで再び聞いてみると、さらに1キロほど離れた場所にあるのが、オレンジの屋根のお家なのだそうです。しかも、すでに空き家。
残念ではありますが、現地に行ってみました。やはり空き家に間違いなさそうです。人が住んでいる気配はありません。でも、どちらの家の周りにも田んぼがあるのです。漁師さんが言うには「あっちの家は空き家だ。この留守の家は、今日は神社のお祭りがあるからそれに行っているんだろう」。(この留守の家おばあさんが、この日の主人公です。)

 

神社?さっきの神社?

 

取材班は、神社に引き返します。すると、地域の人たち7.8人が集まり、祭りの準備をしていました。掃除をしたり、お供え物を整えたり。事情を説明すると、留守の家のおばあちゃんも、ここにきていることがわかりました。足が悪くて、杖をついている84歳(確か)のおばあちゃん。ここから、神社のお祭りをロケが始まりました。
こんな小さな集落の神社のお祭りって、どんなん?と、興味をそそられます。

 

若い(40代くらいに見えました)の女性の神主さんがいらっしゃいます。
「今日は、この地域の例祭です。作物が出来た感謝を神様に伝えます。わたしはこの神社を担当している神主です。地域には8つの神社がありますが、人が減って神主もいませんので、その内の5つを担当しています(担当という言葉遣いではなかったと思いますが)」

 

集まっている人の中に、空き家だった家の人も見つかりました。63歳の男性ですが、みんなの中にいると若者に見えます。結婚するまでは実家に住んでいましたが、仕事がないので結婚と同時に村を出て電気関係の仕事をしているとのこと。ご両親は他界されています。でも、田んぼがあるので自給する分だけ、栽培を続けているのだそうです。そして、おばあちゃんの田んぼも、この人が一緒に面倒をみてくれていました。おばあちゃんは、足が悪くなってからは総代のおじいさんに車で送迎してもらっているそうです。しかし、それまでは片道1時間半をかけて、この麓の神社まで歩いてきたと言います。誰に強制されるでもなく、厳しい山道を。しんどいなあとか、サボりたいなあとか、そんな気持ちはそもそも存在しない。ただ、祭のために歩く山道。神様という存在が、言い換えれば自然への感謝が、当たり前に村人の心の底の底にあるのです。こんな尊い精神文化が、今日本中で急速に消滅しているのでしょうか。。。

 

準備が終わると、みんなで昼ごはん。今は村を出ている人が二人、地域の住民が5人、神主さんが一人。8人でお弁当を食べます。「昔はご飯も全部、村の者で作っておったが今は弁当になった」と、神社の総代のおじいさんが言いました。それでも、この日は村のみんなが顔を合わせる貴重な機会なのです。

 

ご飯が終わると、引き続き祭りが始まりました。このまま?このままです。引き続きです。
みんなの中に気合がこもった感じがしました。神主さんは、もともと袴姿でしたが、立派な装束に衣変え。村外在住の二人も白い装束に衣変え。なんと、このお二人は太鼓と笛を演奏する重要な役割のある人たちでした。ピーヒャラピーヒャラ。祭りのお囃子は本格的。きちんとした態度で、総代をはじめとする村人5人が正座しています。

神主さんが、社内の階段を一段、一段と登り、祈りを捧げます。準備していた神饌は、ざっと5種類くらいあったでしょうか(もしかしたら村人の数だけあったのかもしれません)、それを次々と備えていきます。
そして、神様をおもてなしするために、さっきまで笛を吹いていた人が、今度は舞を始めました。太鼓も、笛も、舞も、長年務めてこられた熟練を感じる立派なもので、無形文化財級ではないかと思えるほどでした。

 

祭りはここで終わりません。次は、神輿が出てきます。漆で塗られた保管状態の素晴らしい神輿です。村人たちは、これを神社の外で待っている軽トラックに乗せました。昔は、人が担いでいたそうですが、今はみんなが高齢者となり担ぐことが困難になったため、5年前から軽トラックに乗せるようになったのだそうです。そこまでしても、神輿は繰り出さねばならないのです。村人たちの神への感謝は本物です。神輿に続き、太鼓も乗せました。軽トラックをゆっくりノロノロ動かし、歩きながら太鼓を叩くのです。総代が運転。足の悪いおばあちゃんは助手席に。他の村人たちもトラックに続きて歩き始めます。太鼓の音が、もうほとんど住む人のいない山の中の村に響きました。誰に見せるためでもない、村人と神とのコミュニケーションなのです。

 

山の神に向かって、神主さんが改めて祈りを捧げます。そうです。神は山にいるのです。わたしは、とても神聖なものを見せていただいたような気がして、なんだか涙が出ました。
人が減っても、年をとっても、変化しながら祭りを続ける村の人たち。もしかしたら、消滅させることなんて、出来ないのかもしれないと思います。どんな形になっても、この祈りは、消えるはずがないと思えました。消えない祈りを、祭りという行事が支えているのです。

 

祭りが終わると村人たちは家に帰っていきます。おばあちゃんも総代さんに乗せてもらい、自宅に戻りました。その家を再び訪ね、翌日改めてお話を伺う約束をした取材班の1日も終わりました。そして約束どおり、おばあちゃんが翌日迎えてくれました。

 

おばあちゃんの家

 

おばあちゃんがこの家に嫁いできたときは、明治時代に建てられたかと思われる古い家に住んでいました。「でも、柱とかを虫が食うから、お父さん(ご主人・故人)が、隣に新しい家を建ててくれたんじゃ」この家が留守だった家です。昭和63年に建てたそうです。
「まあ、上がってくだされ」と迎えられたコタツのある部屋。息子さんが一人おられ、京都で家族と住んでいるそうです。取材班が話を伺おうとしたところ、電話がなりました。
今からおばあさんに食事を届けにくるという人からでした。古民家好きのおじさんで、撮影をしようと歩いている時おばあさんと出会い、一人暮らしと聞いて何かと様子を見にくるようになったそうです。奥様のご協力でお弁当を作ってもらい、ここでおばあさんとおじさんは、一緒に朝ごはんを食べていました。
おじさんが帰ったら、おばあさんは夜ご飯の準備です。杖をつきながら、家の前にある畑へ。「野菜は買ったことない。ここでなんでも自分で育てとる。買えば、何日か立ったものだけど、これは採りたてだから美味しい」白菜とネギを土から収穫して、鶏肉と煮込みました。ご飯は、さっきの63歳のおじさんが、自分で作った米を分けてくれるそうです。「お米は、もらったものなの」と、ほおばります。
ご飯の後は、薪でお風呂を炊きます。嫁いでからずっと、この暮らしを続けています。
山の中の一軒家の一人暮らしを、おばあちゃんは寂しくないと言います。
いろんな人に助けてもらえて、気にかけてくれる人もいて、食べ物も自給して。
心で誰かと繋がっていれば、人は孤独ではないのですね。一人暮らしと孤立とは違う。どんなに人の多い街で暮らしていても、社会と繋がっていなければ、それは孤立です。おばあちゃんの幸せは、あの神社の祈りの中にあるような気がしました。

 

おばあちゃんは、メソメソしていない。静かに、ニコニコと暮らしている。誰のためでもない、神様のために体力を使うことができる人たちが暮らす村の中の一軒家だから、ニコニコできるんですね。村はいつか消えるかもしれません。今暮らす村人は全員が高齢者です。でも、私はこの村の人が守ってきた精神性を、例えば我が家でも継承したいと思います。自然に感謝し、祈ることは誰でも、どこでもできること。形が変わっても、消滅させない尊さを村の人から学びました。