体と自然は相似的。自然が遠くても、体と向き合う。

2020年06月09日

えんどう豆

コロナショックが全国を駆け巡る間、
免疫力の大切さをいつも思っていました。

医学の知識があるわけではないけれど
ざっくりと、シンプルに原理原則から考えたら
人間には免疫力と自然治癒力があるということはわかります。

ウイルス、細菌、真菌、それぞれ違いはあれども
人間にとってよくないものは体が知っていたり
もし侵入してきても対処したりする力は本来ある。
それを超えたときに発病する。
だから体を守り、応援してあげればいい。

病気になってから病院に行くよりも
発病していないけれど、怪しいな?と感じたときに
体を応援してあげる。
いつもよりも免疫力の高そうな食べ物をたべて
温めて、休む。

免疫力の高い食べ物って何だろう?と調べなくても
基本的に和食に徹していれば、一番いいのです。
何万年も、何千年も、この国で暮らしてきた先人が選んできた食べ物は、
この国の国民にとって体にいいから残っているのではないでしょうか。
それが発酵食品、自然に近い栽培による農産物などなど、ということですよね。

1.食べ物
2.食べ物由来の薬効性のあるもの
3.病院

という順序でどうでしょうか。
(全てに通じるのは「病は気から」。心の状態もポイントですね。)

サプリメントや薬は、ある成分を凝縮したもの。
たとえ、その成分が実験によって効力が証明されているとしても
それさえ食べていれば大丈夫と言えるものなどありません。
むしろ棘のある食べ物だと言えます。特別に、食べ物だけでは補いきれないものを
その時だけ摂るのはいいとしても、
自然のもつ多様な微量成分を含みません。
実は、多様な微量成分の、調べても調べきれないほどの複雑な作用が重要。
だから、難しく考えないで自然に近いものを食べるのが一番簡単ではないかしら。

そうして食べたものが腸に届き、体の80%以上の免疫力がここで作られる。
腸の中の多様な菌たちが活躍します。体を温めるのは応援になります。

パンデミックの場合は、リスクのある行動を一切慎む。
それも、人混みを避け、手を洗い、みだりに口元を触らないなどの
シンプルなことでした。
過剰な消毒生活は、常在菌を排除してしまうので、疑問を感じます。

悪いものと良いものを区別して決定し、悪いものを一網打尽にするという考えではなく
悪いものも良いものもどちらもあるのが本来だから
悪いものが暴れないように抑え、良いものを活性化させるように考える。
悪いものを排除すれば、良いものも消えてしまう。

自然にも多様性が必要です。
体がそうであるように。

単一の植物がどんなにいいからといっても、そればかり栽培していると
別のリスクが発生します。人間がうまく調整するという覚悟で臨めば
文明と自然の調和が見えてきます。
シンプルに、自然とは生命の塊であると考えて
その生命を尊ぶ気持ちがもしあれば、やりすぎを防げるのではないでしょうか。
間違えたら、改善する。
壊しすぎたら、復元する。
食べすぎたら、摂食する。
疲れたら休む。
そのほうが、結局は、自然と文明の幸せなバランスがとれる。。医療費が減る。

土の中の菌に活躍してもらえば
免疫力と自然治癒力の高い土になるはず。
薬を使い過ぎれば、菌は死んでしまいます。
少しなら、調和できるかも。でも過ぎれば副作用がでるはず。

自然のしくみにやってもらえることはできるだけそれを生かして、任せることで
経費も減らせるかもしれません。
人間はそれを守ったり応援したりしながら、文明に必要な部分をいただきます。

体が喜ぶことは、自然も喜ぶ。
人間も自然の一部だから相似的なんだと思うんです。
そういう発想で自然を見直してみると、
これからは控えたいことは?逆に再生させたいことは?
と考えることができるでしょう。

文明による開発と発展のときに、自然の免疫力と治癒力を
超えてしまわないような思想と技術が必要だと思っています。
いろんな分野において、そんな動きはすでにあることでしょう。
専門家の皆さま、賢い皆さま、どうか宜しくお願いします。

余談

体と向き合うついでに、心と向き合う簡単な方法があるんですって。
静かに呼吸して、心臓の鼓動を感じること。
心臓の鼓動って、普段はまったく忘れていますよね。これいいなあと思って、思い出したらやってます。
そういえば、神棚や仏壇に手を合わせるのも、同じことなのかもしれないですね。