あなたの愛する風景がメガソーラーになったら。。。

2020年06月11日

街で暮らしていながら、山村の風景が残されてほしいと思うのは、エゴなのかもしれませんし、地域住民として願ってもいいことなのかもしれません。
今の時代、風景を大きく変えてしまうものとしてメガソーラーがあります。
今日は自分の頭の中をのぞいてみるという目的で、書きながら考えてみたいと思いました。
メガソーラーhttps://www.kankyo-business.jp/dictionary/003657.php
 

 

わたしは、学者でも専門家でもありません。誤解もあるかもしれませんので、その場合は頭を書き換え、アップデートするという前提です。
 

今から30年くらい前、太陽光発電がまだ新しい技術だった時代、これが普及するといいなあと、わたしは確かに思っていました。
その頃はメガソーラーというものはなく、ビルの屋上や住宅の屋根に設置するものでした。
地球環境を考えた時に未来を感じない石油や原子力に変わるのは、このエネルギーだと思っていました。

それが3.11以降、再生可能エネルギーが注目され(ここまではいいことだと思った)、増えてきたのがメガソーラー。

現代の生活をする上で、電力なしにはもう考えられません。このブログも、パソコンが通電しているから使えています。
電力が積極的に使われ始めたのは戦後です。初期のダムが、戦後の復興と水力発電を目的に作られました。
 
 
電気の歴史(始まりは明治時代)
https://www.fepc.or.jp/enterprise/rekishi/index.html

上記の歴史の中で、「戦雲の漂うなか電力は国家に管理され」とあります。戦争のためには仕方なかったのでしょうけれど、
もともとは、地方分散型だったことに、わたしは注目したいのです。これからは、再び、こちらの方向へ進むほうがいいと思っていて。

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の電力会社一覧_(戦前)

今、電気のほとんどは企業が使っており、そしてほとんどが大都市で使われています。
石油ショック以降、原子力発電所が増えていき、そのほとんどは地方に設置されています。
(今年、新潟の柏崎方面を通ったとき、電線がまるで地形の上に釣り下がったガーランドのように見えました。
これは、新潟の人のための電気ではなく、東京のための電気だと、実感する眺めでした。)

これを地方分散すると、大都市には大きな発電所、地方には小さな発電所があればいいのではないでしょうか。
でも国家統制(今もそれに近いと思います)されていては、そんなことは無理ですね。
今すぐどうこうということではないのですが、発想として、電気も地産地消するほうがいいと思うんです。送電のコストも下がりますし、
地域の必要に応じて発電できると思うんです。ですよね??
 
 
そして現状。電気を自給しているとされる地域は、実際のところは、数字上の自給です。発電する(つまり売電する)電気よりも、その地域で消費する電気が少ない場合に自給率100%ということになるんです。なんか、違うー。もったいないー。って思うんですけど。それが水力発電であれ、太陽光発電であれ、発電されたものは、いったん電力会社に売電され、その電力会社が電気を売ります。そこには送電コストや途中で消えていく電気なども含まれます。なんかもったいないのですが、地産地消するだけのインフラを整えるのも膨大なコストがかかるそうで、こうなるのだそうです。(再生可能エネルギーのためのコストは家庭の電気代に上乗せされています再生可能エネルギー発電促進賦課金

 
メガソーラーは、この「売電」によって成り立っています。
そして、電気がどれだけ必要か?ということよりも、投資の対象になっていると思います。極端な話、電気が余っていたとしても、
土地を売りたい人、そこにメガソーラーを作って売電したい人、メガソーラーに投資して電力会社の利益を還元してもらいたい人がいるのなら成立します。
だからメガのほうがいいんです。そうですよね。
 
土地を売りたい人、電気を売りたい人は、農家や林家の中に多くいます。
(この際、自宅の農地をソーラー化(メガ以下)して売電する人がいるとしても、今回はスルーすることにします。実はこれも残念ですけど)
 
「何の価値もなくなった自宅の山が、お金に変わるのならば売りたい」という山林所有者に対して、「買いますよーーー!」と営業する人がいて、成約に至るわけですね。山を売りたい人
かつてバブルの時代には、それが新興住宅地となり、ゴルフ場となり、リゾート地になってきたと思います。
高速道路も増えました。毎日のようにお世話になっておりまして、高速道路さまさまなのですが、しかしその反作用についてはあまり知られることはありません。やはり、自然に負担をかけながら発展してきています。そのバランスを、経済発展最優先でないところで調和させていくことが、これからの時代は必要です。
それでも、まだ山の形をすっかり変えて何十ヘクタールものソーラー発電所にする動きは止まりません。
森が消えて、生態系や地下水にも影響を与えても、ワンクリックするほどに、瞬間的には反映しませんし、
メガソーラーのある場所は、街で忙しく働いて暮らしている限り視界に入ってきませんし、ほとんどの人はあまり関心を持ちません。
もしも、何らかの副作用が顕在化して始めて、気づくのです。
 
山を売りたい人にも、買いたい人にも、経済活動をする自由があるはずではないか?といえばその通りですが、
「メガ」の場合は、面積が大きいので、当事者以外にも影響を受ける(かもしれない)人がいるので、自ずと公共性を帯びる、、、。私的な利益だけでなく、社会的にどうなのか?という意識は、必要だと思うんです。
(おそらく、この声は誰にも届かないなあ、、、。コテンパンに言われちゃうかなあ、、、、。)
 
同様に、メガソーラー並みの皆伐や開発なども、思慮深く行なっていただきたいと望むところです。。。

 
 

どうしましょう。
まずは、電力ニーズを控えめにしていくことにより、メガソーラービジネスをしようにも、電気が余る状態を目指すのはどうでしょう。

手の届くところから考えてみるに。。。
電力は必要です。だけど、節電する。消費電力の少ないものに変える。(日本人全員がやれば効果があると思う)
電気だけに依存しない。電気は、熱に変えるのが一番効率が悪いそうなので、電気ストーブはやめておきましょう(安全のため必要な人は除き)。窓のあかりを生かす設計なども。

電気は足りているのかしら?電気が余って停電することもある???(電気余っても停電?発電の「出力制御」とはhttps://www3.nhk.or.jp/news/special/sakusakukeizai/articles/20181009.html
電気が余れば、メガソーラーを止めると書かれています。
メガソーラーって、本当にこれからも必要なのでしょうか??本当に??? 投資目的だったら、他の投資を考えては。。。。

 
 

次に望まれることは、自宅で自産自消。すでに家庭で自家発電している人もいますよね。売電して電気代ゼロハウスなどもあります。これをもう一歩進めて、家庭用バッテリーを一家に一台なんていう時代になったらいいなと思います。将来フリーエネルギーの時代がきたら、こうなると思う。関西電力さんが潰れればいい、というのではなくて、役割がもっと小さくなって、そのかわりに地域や自宅での自立が進むイメージです。大規模な一元管理から、もっと分散していく。電気だけでなく、働き方とか、いろんな意味でも、そういう方向へ。。。

 
ソーラーパネルを設置するなら、自然を壊して作るより、すでに開発済みである都市の中に作りましょう。
 

自産自消とともに、地産地消。仮に、山村でソーラー発電が進むとしても、メガではなくて、注意深く設計されたものとなり、しかも山村住民は全員電気代は無料。ということになれば、移住促進のためには、とても魅力的なカードになるのでは。

そのためには、私的な利権者だけでなくて、住民の人の声や願いがくみとられるよう、行政などの中立的な立場の人たちが活躍してくださいますように。。。
ここが一番、大変なところですよね。。。山村の人たちが「何のお金にもならない山」と思うのか、かけがえない資産と思うのかでも、変わってきますし。。。
また、山村の未来を考えたとき、売電以外の経済活動になるにはどうしたらいいか、というアイデアも必要ですよね。。。

 

もうひとつは、森林業を諦めないこと。木材を売るだけでなく、もちろんそれも含めて持続可能な林業を作ることや、森という環境そのものが価値となり、それによってお金がまわる仕組みを作っていくこと。
価値のある森林を、売り飛ばさなくてもすむようになること。
環境に配慮した遊び場、癒しの場、生産の場、できればダーチャのように活用される場として、森林が尊重されること。
わたしが、地域マガジンで森関係の記事を必ず掲載するのも、多くの人が森を好きになってほしいと願いをこめてのことなんです。(好きな人と、無関心な人が分断しているので、その境界をふやかしたいです、、、)

 

何かズバッと結論を出せるわけではないのですが、メガソーラーのことは、とても気になります。一度、考えてみませんか。

 

参考
メガソーラー建設反対運動が続発、太陽光発電は本当に「エコ」か(2018年の記事)
https://diamond.jp/articles/-/184843
諏訪のメガソーラー予定地