「これじゃない」「そうじゃない」の中にずっといました。

2020年06月24日

何をやっても、致命的な不幸には至らず、
なんとか、かんとか、やってこれたのですが、
いつも「これじゃない」「そうじゃない」という気持ちから
逃れることができませんでした。

だからといって、何がしたいのか、わからなかったのです。

けれども、今にして思えば
(年を重ねて、やっと見えてくるのですが)
したいことを自分で「無理、ありえない」と、無視しているんですね。
本当にしたいことには蓋をしているのです。
できない自分が怖いのです。夢を失うことが怖い。

多少なりとも、手を伸ばし、「うまくいきそうにない」「できそうにない」
という体験的な根拠があればなおさらのこと、
このまま行っても、「絶対無理」、と確信していきます。

こういうのを「へたれ」というのでしょうか。
わたしは、へこたれやすい人間です。

これも今にして思えば
できなくたって一向にかまわないのですが
その時は、できなかったという現実に向き合うのは怖いのです。
まだ現実になっていないのに、その現実が怖いわけです。
したいことだからこそ、答えは保留のままにしておきたい。
眠らせておきたい。
眠らせているうちに、忘れてしまうことができます。
辛い思いをしなくてもよい。
努力もしなくてもよい。
そのほうが安らぐのです。

ところが、自分というのは案外正直で、
「これは自分がやりたくてやっていることではない」という言い訳があれば、
(例えば、頼まれる。引き受ける、あるいは生活のため)
選んでいるんですよね。それが編集でした。

そういえば、10代のころから
これ関係のことばかりしていた。いつも興味があった。
でも、それだけは仕事にはできないと判断し、
能力が足りないと悟っていました。なぜなら?
できない理由ならことかきません。

がつんと我を押し通すことができない。
巧妙に立ち回ることもできない。
辛い思いに耐えられない(鬱になります)。
未来を肯定的に信じることができない。
そんな自分には「無理」なんだと。

それでも幸い、言い訳しながらであれば、やれる機会はありました。
いつもローカルな紙媒体でした。

そして、「これだったのかな」と遅まきながら認め始める頃には
それだけで生計がなりたつとまではいわなくても
自分が何をしたいのかが見えてきたのです。

もしかしたら、近いところに来ていながらも
ストライクゾーンからは外れている、その状態が
「これじゃない」「そうじゃない」を呼び起こしていたのかもしれません。

違う、とわかっていても進んだことが何度もあります。
そのとき、支えとなった考え方は
遠回りする必要がある場合がある、ということ。

これは遠回りかもしれないし、やりたいことなのかどうかはわからないけれど
目の前にあることを受け入れて進むことが、やがてやりたいことにつながっていく。

という考え方です。
そう考えると楽になれて、「今は目の前のことを一生懸命取り組もう」と、
結果を気にせずに進むことができました。
どこにつながっているのかがわからないため
「わたしはこれを目指します」とは、発言することはありませんでした。
目指すのも嫌いでした。
目指せば、それに縛られる。違うかもしれないのに?
そんなことは、できませんでした。

ただ、いつも できるかぎり誠実であること
(何しろ親がわたしにつけた名前でもありまして)
いつも できるかぎり努力すること(それが何であれ)はできました。

だんだんと、若い日のできごとや、閃きや
違うとわかっているけれど一生懸命やったことなどが
今の自分にどのようにつながってきたのか、
だまし絵を解くように、少しずつ見えてきたのです。
(たまに、良い選択もしていました。
それらは今にダイレクトにつながっています。)

経済活動が自然を壊してしまう。
自然が壊れたら、命が危険にさらされる。
だけど、経済活動を否定したら世の中が成り立たない。
どうすればいいのか。

それは、自然に近づくこと。

かつて、自然とともにあったしくみを
現代に似合うように再構築すること。
そのためのメディアを、人ごとでなく
自分たちの地域に根ざして、作っていくこと。

わたしは、そのためであれば、
収益性があるかどうかも気にせずに
努力しつづけることができる、自信があります。

残念ながら、残された時間が随分少なくなってきましたけれど
これからも、続けていきたいと思っています。
体力と気力を使い尽くすまで。
そして、使い尽くした後には、
今すでにそうであるように
ベランダの緑の手入れをしたり
コーヒーを飲んだり
そうそう時々、大好きな人たちと飲んだりして
にっこりしながら暮らす予定です。