昔の自分と対話してみたら、あんまり変わってなかった。

2020年07月29日

ブログというものは、集客を目的とする場合、読者目線に徹しなければならない。
自分の書きたいことを書くようなブログではよくない。
と、よくいわれている。

このブログは、集客を目的としていないので、書きたいことを書いている。
もしも読む方があれば、申し訳ないことだ。そして、ありがたいことだ。

なつかしいことに、ブログを書くという、ただそれだけのことに
大きなハードルを感じながら始めた。さかのぼってみると2013年だ。

おそらく自分は、「自己開示」というものに挑戦したのだと思う。
自己など、開示する必要はないと思っていたけれど
(いや、本当は、それが怖かったのだろう)
誰かとつながるためには、それは避けては通れないことだと
感じはじめた頃だった。

2013年1月。スタートして間もない頃に 「スモール・イズ・ニューティフル」という記事がある。
http://office-l-ink.com/archives/410

読んでみると、今の自分がこの頃には、ちゃんと顔を出しているのがわかる。

今でも、あまり度胸がすわったほうではないと自覚しているけれど
さらに、もっと、もっと、記事をアップロードするだけで、意味もなく緊張するようなメンタルで暮らしていた。
それではだめだ!と自分を責めるより、
それがありのままの、本当のところです、と認めるるほうが、開示しやすいと思えた。
そこから1歩ずつ、のろのろと歩いてきた。

2010年に、地域媒体の編集に、3度めの正直で出会う。
今の自分に直接つながる出会いだった。
それから10年。来年の2021年には、自分の中では心構えとしての区切りをつけたいと思っている。
外から見える範囲では、これといって変化がないかもしれないが
自分の中での書き換えが行われる。

その時まで、あと半年。
今は毎日、その覚悟(というと大げさだが)を固めている。

それでも、変わらない自分がいる。
それは、このブログを開設した時からずっとそのままだ。

時代は変わっていく。コロナでも変化を余儀なくされている。
激しく変わるのに、それなのに、自然に近い社会、自然を大切にして皆が幸福を感じる方向へは
それほど変わってきていない。とても変化しにくい部分なのだと思う。

わたしはもう、「社会を変える」という種類の言葉に
あまりときめかなくなった。変えようとしなくてもいいと思うようになった。
それよりも、自分たちの希望をちゃんと見据えて
足元から幸福を作りだしていくほうが大事だ。
その結果、ゆるやかな集団が生まれて消えていくのか
その集団が、有機的に増えて、いつのまにか社会の色が変化していくのか
それは個人がコントロールできるものではない。

わたしは、どうしたいか。わたしたちは、どうありたいか。
豊かな自然が守られ、生かされ、物質的にも過不足なく、人間関係を信頼できる、
そんな世界でわたしは生きたい。だから、自分とそのまわりがそうであるように
できないことではなくできることを、喜びながらやれたらいいなと思う。