農に近い暮らしと幸福度

2020年09月03日

農は長い間、謎でした。

 
当たり前過ぎて、気にしたこともないほどに身近にある農の風景。
毎日、買えば手に入る農作物。地方の「町」で生まれ育ったわたしは農は近くて、接点のないものでした。

 
理由もなく湧いてくる農への憧れのような気持ちがあれども、とにかく、心の底から諦めていました。観葉植物さえ育てられない自分が、農なんて、できるわけがないと。興味があるのと、できるのは別だと。なぜそこまで思ったのかわかりませんが、たとえば市民農園に興味を持ったとします。すると「貸りるのはいいけど、ちゃんとやってくれないと農家が怒るよ」などという言葉を引き寄せてしまうわけです。あ!それ、わたしだ!わたしのような人が借りると、そんなことになってしまうんだわ!だめだめ、甘く考えちゃあだめ。
だけど、農ができない人が始めたいのに、「ちゃんとできる人した貸せない(貸りても迷惑がられる)」と(陰口だったとしても)言われたら、一生できるようにはならないですよね。どこで始めたらいいのでしょう。

 
わたしは大学を卒業してすぐに自然食品関係の会社に就職したため、仕事上、無農薬の作物がいかに人間にとって(当時の会社は環境にとって、という視点はあまりなかったと思います)大切かという知識は十分にありました。奈良で暮らしていると、無農薬に取り組むような篤農家とも出会いましたが、大変な苦労をして取り組んでおられました。もしも自分が家庭菜園をやるとしたら、無農薬・無化学肥料のほうがいい。でも、それは大変な困難をともなう、、、とすれば、なおさら望む農のハードルは高くなります。

 
難しく考えないで、失敗してもいいから、今できることをやってみよう。そう思うようになって、まずはプランターで何か育てることを始めました(子どもが生まれた頃かしら)。案の定、何年も何年も、失敗ばかりで、うまく育てられません。殺虫剤は使いたくない。化学肥料は使いたくない。しかも栽培の知識は少ない。
書店で買い求めた本には、必ずといっていいほど、化学肥料と殺虫剤を使うやり方が説明されていて、参考になるものがありませんでした。無農薬・無化学肥料の方法は、プロの農家さんでも苦労して取り組んでいる時代。家庭で、プランターで、素人でやってみたい人のための情報は少なく、「自分が手入れを怠ったのが原因だ。自分が下手なんだから仕方ない」いつも、そう思っていました。子育て中で家庭に引きこもり気味、友人も少なかったので、園芸や農に詳しい人がまわりにいなかったというのもあったかな。いや、人を求めず本ばかり求めていたのかな。

 
農が謎だと感じました。どうして農地には、あんなに当たり前に作物が育っているんだろうと。当時のわたしは、ベランダでプランターで育てることと畑で育てることは根本的に違う、ということもわかっていなかったものです(体感したところでは、プランターよりも畑のほうがずっとずっと簡単です)。「プランターでできる家庭菜園」という本が今でも本棚にあります。プランターでは、難しかったです、わたしには。不可能ではないまでも。

 
農はともかく、緑のある暮らしはしたい。アメリカンブルーやハーブ、丈夫な多肉植物、ヘデラなど、少しずつベランダの緑が増えていきました。失敗してもいいんだ。何度もやりなおせばいいんだ。枯れてしまった植物さん、ごめんなさいね。だけど、わたしは何度でも育てます。許してね。なんだかもう、開き直ってしまったのです。緑は必要。緑のない生活は考えられない。

 
何年もたつうちに、多少なりとも、植物たちの生存率がアップしてきました。この間に、インターネットが完全に普及し、格段に情報が得やすくなりました。自分さえ調べる気があれば、ありとあらゆることを知ることができます。そして、3.11以降は、社会全体も「自然志向」が高まりましたよね。たくさんの人が、「生きる」ことについて根本的に問う機会となったのだと思います。また、雑誌づくりをしているおかげでご縁が広がり、無農薬有機栽培に取り組む気の合う人も増えてきました。また、農薬への考え方も少し柔軟になりました(このあたりは別の機会に)。農が少し身近に思えるようになってきたようです。

 
そして今は、わずかながらも家庭菜園ができるようになって、毎日畑に通い、土に触れ、太陽や風を感じ、汗をかき、雑草を刈り、種や苗を植え、師匠にいただく無農薬の野菜を日々食べるようになって、わずかこの2ヶ月くらいの間に、自分の中で何かが変わってきているのを感じます。毎日のごはんの時間がありがたく、嬉しく、幸せなのです。
ある大手のシンクタンクの調査によると、農に近い人ほど幸福度が高いという相関関係があるそうです。わかる気がします。
もうひとつの変化してきていることがあります。以前から重要視していた「菌」について、いっそう興味がわいてきたことです。無農薬で、無化学肥料なのに、なぜ野菜が育つのか。その答えは菌にあるようです。自然のルールと人間の都合がみごとに調和して、農地が生まれています。農とは、すでに近自然なのですね。それを中継ぎしているのは、菌なのですね。これが腑に落ちたことも、農に近づいたことの大きな恩恵かもしれません。菌と農については、また書いてみたいと思います。