コロナが社会に変化をもたらす、と言われていますが。

2020年09月09日

コロナコロナとあまり騒がれなくなりましたが、いかがおすごしでしょうか。

 

ここに書いていいことと、あまり書きにくいことがありますけれど
コロナで変わったと感じていることを振り返ってみました。

 

マスクがないと立ち入りできない箇所が増えたので、マスクを常備するようになりました。
個人的にはコロナは収束しているのでは?と思っていますが、世間には逆らわないようにしています。

 

手洗いを励行するようになりました。
手洗いはコロナに限らず、健康に暮らすために当然ながら大切なことだけど
コロナショックのおかげで、今までよりもきちんと石鹸を使って指、爪、手首まで丁寧に洗うことが習慣化しました。
これは風邪の予防など、コロナに関係ない意味でも大変良かったと思います。

 

免疫力の大切さを痛感しています。
自然と人が調和して暮らすことが当たり前になったらいいなということをいつも考えているため
「菌」の働きについては日々関心がありましたが、いっそう重要視することになりました。
日本人はすでにコロナの抗体を獲得しているという説があります。その説が広く定着しているとは感じませんけど、
ウイルスに感染しても発病しない人と重篤化する人がいるのはなぜか?ということは考えさせてくれます。
これは免疫力の差。免疫力は、腸内細菌と精神的な状態に左右されますから、食べ物と気持ちの持ちようが大事です。

 
腸には免疫力のほとんどが集中しているそうです。腸内にいい菌ちゃんがたくさん棲んでいることがポイント。
そのためには?食べ物、それも腸にいい食べ物です。まず、無農薬野菜を中心とした和食。和食には自動的に発酵食品が多く含まれている。
化学薬品を多用した加工食品や、農薬&化学肥料を駆使した野菜をたべても菌ちゃんはいない(少ない)。
ですから、味噌、醤油、塩など日々食べるものは自然食しか買わないのですが、これに加えて、畑活デビューしたおかげで無農薬野菜を食べる比率がアップ、ほぼ毎日のように食べています。

 
畑活は、コロナの緊急事態宣言によりみんなが暇になったので、会いにいける人が増えたことと(ステイホームしながらも、双方了承のうえで人に会っていました)によって、農的な勉強をたくさんすることができたのです。しかも、隊長(夫)が退職したタイミングも絶妙で、将来のことをあれこれ気に病むよりも自由な時間を使ってやれる範囲でやりたいことしまくった。やりたいこととは?農的な活動をしている人に会うことでした。そう狙ったわけではないのですが、わたしたちが会いたいと思うような人たちが軒並みそんな人たちなのでした。
その動きの中から「畑活」の機会に遭遇しています。コロナ(と隊長の退職)がなければ、これもなかったかもしれません。コロナ、わたしたちにとっては、いいこともあったのです。

 
畑の師匠は無農薬家庭菜園の大先輩で、作物は「とっていいよ」とのことなので、安心安全な野菜が毎日のように食卓に並んでいます。
畑を貸してくれている人(感謝をこめて草刈り)、師匠、ごはんを作ってくれる夫に心から感謝して食べることは、あきらかに精神的にいいです。気持ちの持ちようが違います。無理してポジティブ思考をしなくても、わいてくるような感謝の気持ち。だって、だってですよ、ほんっっっっとうに美味しんですもの!

 
コンサル(のようなこと)をしている友人も言っています。「お金があっても、食べられなくなる時代がくるよ」。もちろん、すぐに来るわけではないのですが、いつ来てもおかしくはないのが今の日本です。食料を6割輸入しています。国際情勢が狂えば、輸入が途絶え、都会の「食べ物を店で買うしかない」人々に大きな影響がでるでしょう(たぶん1%くらいの人々は何がどう転んでも大丈夫なんでしょうけど)。お金があっても、お金は煮ても焼いても食べられない。食べ物は自然だけが作ってくれます。自然を尊重しない文化は、いつか、どこかでおかしくなる。そう思っているわたし(たち)は、畑活を始めることができたことで、太陽と水と土と、野菜をはじめ菌ちゃんを含む生き物たちと近い暮らしができつつあることに、深い安堵感やありがたみ、喜びを感じています。もともと都市型の暮らししかしたことがなく、観念的に憧れるだけだった畑活を今できているのです。
「農は今ひとつやる気がでない」と、気乗りしていなかったはずの隊長が、毎日嬉々として畑活ぶりをSNSにアップしている現実を前にして、まるで夢を見ているようです。こんな日が来るとは。

 
農家の方や、農業に関係している人たちから100%聞こえてくるのは、農家の人手不足です。その一方で、家庭菜園をしたい人、食べ物を自給したい人の数は増えています。コロナ以後確実に、わたしのまわりでは、ものすごく増えているのですが、いずれ統計にも現れてくるのではないでしょうか。これをつなぐことはできないものでしょうか。家庭菜園をしたい人は、プロ農家のように合理的にたくさんの収穫をしてお金に変えたいわけではない。土壌菌から育てて、作物に感謝して、安心安全な食べ物を自分で手に入れる体験がしたいわけです。ですから、プロ農家を目指す人のための学校へ行きたいわけではないでしょう。有機栽培を体験できること、素人で無知であっても親切に教えてくれる(あんたらは何もわかってない!などと叱られない)ことを望んでいます。でも有機栽培農家さんは体力の限界まで働いておられて、指導をしている暇はないのです。このあたり、なんとかならないかなあ。ゼロから体験しているわたしたちの経験を何か役に立てられないかしら。。。
 
シェア畑、ファーマーズスクールなども出てきたようですが。。。

 
 
免疫力から食の話は、これくらいにして、もうひとつコロナ以後、ひしひしと感じているのは社会のデジタル化が一段と進んだこと。現金よりもスマホ決済、ネットでカード決済が主流になりつつあります。これはお金の流れを把握したい層にとっては、ぜひとも達成したいことでしょう。会議やイベントも仕事も在宅でオンラインがめずらしくなくなりました。ある印刷会社の方によると、「このごろは、印刷よりも動画配信の仕事のほうが増えている」とのことです。うちのオフィスとしては、この事実には向き合っていくことになると思いますが、個人的には、人と人が会って交流することの楽しさや学びをいっそう貴重に感じます。ただ、デジタル化によって「便利」になる部分は確実にあるので、今後インフラが整っていくにつれて、適宜、便利さをうまく使っていこうというふうには思います。

 
さいごにステイホームについて。コロナがもたらしたものとして、「時間がたっぷりあることを知ってしまった」人たちがたくさんいるでしょう。わたしはもともと、フリーなので時間にしばられにくい暮らしをしていますが(締め切りというものがなければ、全くダラダラと暮らすことでしょう)、毎日通勤していた人たちもそれを体験しました。もちろん、ネガティブなこともあったようです。家庭で揉め事(深刻なケースでは虐待)があったりすると、胸が痛みます。
けれど、ホームセンターが盛況だったりするのをみてもわかるように、「ほんとうはしたかったことをこの機会にやろう」ということだったんだと思います。わたしたちのように家庭菜園であったり、DIYであったり、本を読んだり、、、。何のために働いていたのか。やりたいことをするため、ではなかったか。それなのに、やりたいことを我慢して時間に追われて働いていた。そう感じた人もいるでしょう。
ここからは個人的な思いですが、生活をするために必要なお金というものは必ずあるので、それは死守しないといけませんけども、逆にいうといくらあればいいのか?を定義しなければ、どこまでもどこまでも続くエンドレスゲームになってしまうのではないかなあと思うんです。何か欲しいのか?何が必要なのか?広告や周りの意見に流されず、自分を満足させる基準を持ち、いらないものは求めずに支出を減らし、そのぶんだけ自由な時間を確保する、働いて得たお金はその働きを十分に味わって使って嬉しいことに使う、そんな働き方ができれば心の豊かさが生まれるのではないかと思います。
 
自分でもこんな経験があります。収入が減ったので働くことにした。とても忙しい会社だった。周りの人も睡眠不足を耐えて働いているのだから、自分もみんなの負担が減るように少しでも頑張ろう。そのうち体の調子が悪くなり、せっかくの自由時間を病院に行くことに使い、せっかく稼いだお金を医療費に使っているときに、何だか変だなと思ったのです。ステイホームだけをして、何もすることがない生活を送りたい人はいないと思います。社会の中に自分の役割があり、それが糧になることは喜びです。バランスが狂うのがよくないんですよね。何をもって調和なのか、それは自分が決めること。ステイホームによってもたらされた時間の中で、生き方を考えなおす人がいたのではないかなあと思うのですけど、どうなんでしょう。

 
ちょうどいい働き方をして、自分の時間も大切にして、安心安全な食べ物を食べて、家族や友人と楽しい人間関係の中で暮らす。そういうイメージをもって、アフターコロナの時代を迎えたいと思っています。(成功するとか、地位を得るなどが出てこないなあ。あかんのかなあ。)いい地球のための一票に、自分がなりたい。人にとやかくいうよりも、自分がそうありたい。できるだけ。