これから必要なこと。予感。

2020年10月25日

わたしは、もともと、自宅の一室にDTP環境を設置して、独学と無理やり仕事を受けるという方法で始めた者です。
地元出身ではなく、子育て中でもあり、幼馴染さえなく、周囲に後ろ盾してくれる人もなく、いわゆるコネクションがない、資金も、全くない状態からのスタートでした。こんなことを始めたところで自分に何ができるかも、全く見えませんでした。
何より、人間恐怖症。人と出会うことに、意味不明な恐怖感があり、名刺を持ち歩いて自己紹介して回るなどの、本来なら基本的な行動も全くできず。
すべて、奇跡的に頂いた仕事を通して傷つきながら学び、何よりも大切なのは信頼関係しかないのだと悟っていったのです。
一番怖かったことが、一番大切なことでした。恐怖をひとつひとつ乗り越え、大変な遠回りを経ました。

つまり、たいしたことない普通の人間です。学者さん、専門家さんならば説得力があります。
ジャーナーストさんも、そう。デザイナーさんの中にもプランナー、ディレクターとして頭角を現す人もあります。
わたしには地位もない。何もない。そんな人間が雑誌を作っていいのか?という自問を何年間も、持ち続けました。

今は、というと、そんな何もないところからのスタートであっても30年近く続けていると、
少しは人との繋がりをいただくことができてきたように感じています。あくまでも過去の自分との比較であって、
地域社会において相対的に見れば、相変わらず何もなく、もっといえば自信のようなものも、無いというほうが近いと自認しています。

それでも、「これからは、こうなんじゃないか」という予感のようなものがよぎるのです。
かつて、自分にとって、机の上で出版ができるというDTPの概念は、天の啓示のようにも感じられ、
何が何でもこれはマスターしなくてはならないと予感したことに、今では救われています。

そんな予感を、社会を見ていても感じることがあります。
それを、企画の中でトライしてみて、肌感覚で確認していくというふうなことを
ずっと続けてきたように思いますし、
同じようなことをすでに権威ある人が発言しているならば、喜んで紹介したいとも思います。

そういう予感のひとつとして、
これからは、頭でわかっていることを生活の中に落とし込んでいく時代なんじゃないかと思うのです。

環境のこと、自然のこと、すでに日本人全員が「大切だ」と知っていると思います。
日本でエコロジーという言葉が使われるようになったのが70年代ごろからと言われています。
この50年間に、エコ的な動きが生まれ、実践する人も出てきて、一部では成功者も出ていますけど
それはまだ少数派であって、社会全体がエコロジカルにシフトしているかというと、道は遠いと言わざるを得ません。
3年ひと昔と言われるほどに、時代が進むのは早いのに、この方向にだけはとても遅い。
50年もかけて、これかと思うほどです。
そして、エコロジカルな方向に進んでいけるかどうかは、大げさですけど人類の死活問題だと思っています。

どうしたらいいのでしょう。
それが「生活」だと思います。

一人一人の生活を、一人一人が自然と調和した幸せなものにしていく。

そのための、具体的な情報が、もっともっと当たり前になっていく必要がある。
一部の人たちにとっては常識であっても、ほとんどの人にとっては「知っているけど自分には無理」と思うような
様々なことがありますが、実際にそれほど難しいことではなく、もしも実践したらかなり楽しい!
ということがたくさんあると思うのです。

自分自身もそれを見つけて、試して、実感をともなったならば、
それを情報発信という自らの活動の中に反映させていこうと、今、予感の中で考えています。
知っているからやっているへ。
そのお手伝いをしなくちゃ。と。