分断を、すこしつなぐ。世代、コロナ、いろいろ。

2020年12月14日

コロナにあけて、コロナにくれる一年がもうすぐ終わります。

日本にコロナが入ってきたとき、テレビで(ほんの、たまに見ます。そのたまたまで)専門家の方は
「手洗い、うがいなど基本的なことを守っていれば
それほど恐れるものではありません。
ただ、基礎的に疾患のあるかた、高齢者の方など
免疫力が弱っていると思われるみなさんは
注意されるといいと思います」
とおっしゃっていました。

そして、その後、どんどん騒動になっていったわけですが。。。
テレビの情報を鵜呑みにしている人ほど
神経質になられたような印象です。

免疫力をあげるために
自然に近い暮らし方、食べ方、考え方を
取り入れる機会だったかもしれないですよ。
大事なのは、ウイルスを憎むより、自分の免疫力を高めることでした。

本当に恐ろしかったのは
コロナに感染したとされる方が地域で生きていけなくなる分断でした。
誰もが自分の身を守るのはあたりまえで、正しいことです。
それが、残念な形で露呈しました。
コロナへの恐怖が分断を生む。どうしたらいいんでしょう。

本当に、誰もがすぐに死ぬような病気なのか、
個人的にはそうは思っていません。
注意してるけど、それは風邪も同じ。
インフルエンザでも、死ぬ人はある。
人が死ぬことを悼むのであれば、
若い人の自殺のほうが、ずっとずっと、社会全体で
向き合うべきことではないかと思うんです。
コロナ以外で、たくさんの人が亡くなっています。
数だけで語ってはいけないのかもしれないけれど、、、。

こうした危機がきたとき、
わたしが見てきた日本人は、苦しい中でも助け合う人たちでした。
だけど、今回は、自分の身を守るために人のことはどうでもいいとなるような
目に見えない津波がやってきたように感じられました。

話は変わりますけど、コロナで忘年会がなくなって
若い人たちは喜んでいるそうです。
上司の話を聞きたくない。
パワハラにあいたくない。
それほどに、上司と呼ばれる人たち(私たちの世代だと思います)は
若い人たちの信頼を失っているのでしょうか。
人生を長く生き、若い人よりもたくさん失敗をして、
苦しいことも乗り越えてきた年配者は、
若い人たちを支配するのではなく、支える側に立ちたい。
大丈夫だよ、自分たちにも同じことがあったよと
励ましたい。

これから、もっともっと社会のデジタル化が進んでいくことは
もう顕在化してきました。
この変化をどのように受け入れて、活用していくかが問われています。
もしかしたら、生のその人ではなく
デジタル上のその人を信じるようになるかもしれません。
人と人が、生身で心を通わせる機会が減り
アバターとアバターがコミュニケーションして
事足りる世の中になるかも?なんて想像したら
わたしは恐ろしくさえ感じます。

コロナがあっても、人に会いたい。
(マスクでもなんでもしますから)
若い人の頑張りを、心をこめて応援したい。
健康寿命が一年、また一年と減っていく年齢になって、
切実に思います。

暮らしやすい世の中、、、というのは
結局、人の心があたたかいかどうか?に尽きる。
寒いときほど、あたたかさが必要。

分断は寒いです。

自分をあたため、
家族をあたため、
友達をあたため、
縁ある人たちをあたため、
ひいでは社会をあたため、
暮らしやすく
楽しさのある生活圏を守っていきたい。

先日、奈良のある地域の人たちが
お餅をついて、「コロナがあっても元気を出そう」と、
集落の人たちに配るとりくみがありました。
そうそう、ちゃんとほら、こんなことがあるのって素敵です。