30年ぶりに「わら一本の革命」を読み返した。

2021年08月18日

まだ都会が経済的な豊かさに酔いしれていた時代。
梅田の紀伊国屋書店に行くのが精神的な暇つぶしだった。
あの頃は、どこに住んでいたんだろう。たしか王寺町だったかもしれない。
本屋へ行きたくなると、大和路快速に乗って大阪まで出かけた。

とある本の中で、福岡正信という人が書いた「自然農法わら一本の革命」を知った。
紀伊国屋書店にはちゃんとあった。
革命とはまた、おだやかでないなと思いつつ、
すぐに読みたいわけでもなかったのに、持っておくべきだと思った。
読んでみたけど、噛めず、飲めなかった。
それでも、置いておきたくて、その後引っ越しても携えた。

それ以来、何人もの人がこの本に人生を変えられていったことを知ることになる。
奈良で自然農の先駆者である川口農園の川口さんも、
この本との出会いが始まりだった。
雑誌で取材した人たちの中にも、福岡さんの農園を訪ねた人が何人かいる。

それほどに、これは救いの書だった。

実践となるとそのまま模倣する人は少ない。
わたしが直接知る人の中にもいない。
けれど、影響を受けて自分なりの道を切り開くのだ。

わたしにとって農は遠かった。
山が遠いように、農も遠かった。
遠くから、見ている景色。自分には立ち入ることのできない世界。

でも、長い年月を経て、やっと自分も畑に近づくことができた。
1年前の今頃、有機農法にチャレンジ。
今年からは、やはり自然栽培ができるようになりたいと考え始めた。
無理でもいい。失敗してもいい。やってみたくなった。

そしてもう一度、かつて歯が立たなかったこの本を読み返す。

今さかんに言われている地球環境危機の解決策を
30年も前に提唱している人がいたのに
未だに有機農法も自然栽培も、少数派に留まっている。
有機農法という名前の近代農法もある。
ITは瞬く間に広がったけれど、
こちらは微動でしかなかった。

今読むと、腑におちる。

人間が、医者が必要だ、薬が必要だ、というのも、
人間が病気になる環境を作り出しているから必要になってくるだけのことであって
病気のない人にとっては、医学も医者も必要でない、というのと同じことです。

高度経済成長やバブル経済のもと、自然から離れることは「発展」だった。
都会的なもの、近代的なものを追いかけながら大人になった。
大人になってみると、自分たちに足りないものは
自然から離れたことによる様々なことだった。
芋づる式に、繋がっていく。
あれも、これも、つまりはそういうことだと。
いつしか、大きな催眠術の中にいたことに気づくようになった。

気づきながらも、変化はじわじわとしか進まなかった。
片手に持っているけれど、身を投じることをしない状態。
身を投じることは、催眠術から覚めること。覚めていいのか?
福岡さんのように、自然に還ることの重要性を説く人は
いつも周りにいたけれど、心から本気で向き合うことができなかった。
催眠術は、尾をひくようにわたしの中に長らくあった。

それが、なくなってゆくにつれ、
自分の暮らし方、食べたかた、考え方が変わっていった。
そして、だんだんと楽になり、幸福度が増していった。

とにかく自然に従おう。
そのためには、あまりにも知らなすぎる。
そう、たとえば自分たちは自然栽培ひとつ、できない。

土があり、微生物がいて、本来なら自然に育つはずの食べものを
遠回りしてお金のかかる作業に変えてきた。
土を耕し、肥料を買ってきて漉き込み、土の力を奪ってきたのだ。
そして、自然栽培ではうまく育てられないようにまでなってしまった。
だったら、今こそ自然栽培を試してみたい。

自分が今世で気づいたこと、次世代にまで継承したいことがあるなら
自分の暮らしの中で実験して、上手になるべきだ。
それを楽しむのだ。
そうすれば、自分も楽しく、次世代にも貢献できるはず。

わら一本の革命から30年たってもいまだにわたしたちは変わり者だ。
となりの人からは「雑草が多すぎる」と苦情が来る。
みんな催眠術の中で生きてきたのだからしかたがないと思う。
自分たちのやり方も、まだ手探りでしかない。

でも、戦わなくても実践可能な、恵まれた時代でもある。
それは30年前から見たら進化かもしれない。

人生の半分以上を生きて、やっと、
こんな小さなスタートラインにたてた。
年を重ねてゆくのは楽しみだ。
それだけ、経験を積むことができるから。

自分の身をもって、暮らしをもって、自然に近づくこと。
わざわざ病気(不調和)を作りす環境を、作らないこと。
生態系を壊さないだけでなく、もっと豊かにすること。
奪ったぶんだけお返しすること。
これからの日々は、そこに注いでいきたい。