もう一度

2014年01月07日

最近、再生とか、「もう一度」とかいううコトが気になります。

耕作放棄地の再生で里山の復活を。
これも再生。

一昨年、再会した友人がオーナーをしている店は
(今は少し変化しているようですが)
古くなって見捨てられそうなものを
センスによってもう一度輝かせたいと
古道具を扱っていました。
 
M氏の仕事は、障害福祉関係で、就労の手伝いをしています。
働くということは、給料のためだけでなく
それによって社会と関わりを持つことができ、
自分も何がしかの価値のある一人なんだという安堵感に
つながるんだなあといつも思います。
幼い頃から自分だけが違う。
友だちができない。
でも周りからすれば理解しにくく、自己中心的に見える。
そんな生い立ちを持つ人たち。
いつも不安だったと思います。
一般企業の障害者枠に就職されるケースもあるそうですが、
受け入れる側にも度量が必要で、実際のところなかなか困難な面もあります。
それならば、と、M氏は法人内で3つの事業を起業し、
訓練を終えた障害のある方を職員として雇用してきました。
発達障害のある方との信頼関係づくりには
プロの職員としての高いスキルが必要です。
プロの理解のもとに仕事の質を高めていかれる人たちを
数年かけて、脇から見守ってきて、
ここは人の可能性を「もう一度」開かせてくれる場所なんだと思います。

M氏の部下となって日夜活躍する職員さんも
かつては別の職場で心を折った経験のある方たちがいます。
昨今の企業の中には「若者を使いつぶす」会社があるという話を聞きますが、
彼らの体験を思うと、決して彼らが特別に弱かったとは思えません。
過酷な忙しさとプレッシャー。そして挫折、退社…。
「もう会社の利益のためだけに自分を消耗したくない」
そんな思いがあったのではないでしょうか。
わざわざ福祉分野の法人の門をたたき、持ち前のスキルや才能を生かして
今度は障害ある人と共に働く道を選んでいるのです。
職員さんの中にも、ここで「もう一度」人生を取り戻した人がいると思います。

一度、終わり、もう一度始まる。
「もう一度」は希望の言葉ですね。

今うまくいかなくて、トラブルの中にあったりする人にも、
「もう一度」という場が必ずあると思いたい。

自分も(M氏も)、年を重ねる中で何度も「もう一度」を経験してきました。

そういえば、日本という国についても
さっぱりいい話が少なくなり、
みんながダメだと思っていないでしょうか。

だから、こんな時代こそ「もう一度」だと思います。
わたしたちの先人が素晴らしいヒントをたくさん残してくれています。
近代以降の欧米化の中で、それが完全に失われる前に。
今こそが「もう一度」の時。

人も、時代も、社会も、間違うことは、あるかもしれませんが
それに気づいたら修正することで成長があるはずです。
だから間違いを責めたり卑下するだけでなく、そこからどんなふうに
「もう一度」立ち上がっていけるか、
みんながそんな気持ちになれたらいいなと思います。

「もう一度」には愛情があると思うんですよね。