移住と「今ここ」での暮らし

2016年06月02日

ある人が言いました。

「引っ越しは、それまでの暮らしや仕事をそのままに、ただ住所が変わること。
移住は、住所が変わることにともなって、生き方・価値観の変化をともなうこと」

最近、どうみても移住が流行しているように思います。
いえ、実際の移住よりも「移住を取り上げること」が流行しているようです。

そこには、都会にない何かキラキラしたものが感じられるのでしょう。
わたしもそれは、とても理解できること。
ですから、昨今人の心にそういうものを求める何かがあることは確かで
無視できないことです。

ただ、流行すると、心の中に注意信号が点滅することもあるのです。
流行というものには、あんまり考えなくてものっかることができる。
のっかっている人たちは楽しんでいるのであって
生き方の変化を決断しているのではなく、これからも移住しないでやっていくのです。
のっかるだけで、「今ここ」の暮らしの閉塞感が、少し、何か、癒されるのではないでしょうか。
それも価値のあることだと思います。

ただ、本当に移住しようと思う人たちには
「知っておいたほうがいいこと」を教えてくれる人の存在が、とても大切です。
そこには「負」(と思われる)こともあるので
キラキラした情報の中には、描かれない部分です。
その「負」にも、そうなるだけの理由があったり、
どこへ移住しようと必ずあることであったり。

また、移住する人たちにもまた、
キラキラしただけのものでない、出来事があったかもしれません。

表面にはなかなか出てこない 深刻な部分を
包む気持ちが大切に思われてなりません。

わたしも、いつかは移住する日がくるのでしょうか。
もしも、そうなるとしたら、たぶん、そこに友だちがいるだろうと思います。
地元の人かもしれないし、先に移住している人かもしれない。
何かご縁があって、行くんじゃないかなあと思っています。
その時は、まるっとした覚悟が必要だろうなー。
あるいは、移住しないかもしれないなー。

こんなに中途半端なのは、おそらく
今ここでの暮らしがすでに、充分「地方」だからです。
都会でもなく、田舎でもない。
かなり丁度いいところなんです(笑)

どちらにしても、農山村は尊いと思う気持ちに変わりはなく。
なぜなら、そこは、今ここでの暮らしよりも、自然との距離が近いからです。
(それとひきかえに、遠くなるものがあっても)

ならば、今ここでの暮らしの中で、もっと自然を取り入れる
「あたらしい町の暮らし」を作っていくのも、面白いことだという気もしています。