水と土のおくりもの(『森は生きている』より)

2016年07月24日

小学校中級から向けの本『森は生きている』富山和子著 講談社青い鳥文庫 1984年第1刷発行

【56P】

あなたは川の水が、なぜなくならないか、考えたことがありますか。水は上から下へ流れていきます。ですから、いつかなくなってもよさそうなものなのに、なくならないのはなぜでしょうか。日本のような急斜面の国土では、雨は一日で海へいってしまってよいはずです。それなにに、はれた日でも流れているのはなぜでしょうか。

そのひみつこそ、森林にありました。森林は、そのふところふかく雨をうけいれると、すこしずつ地下へおくりこみ、やがて下流へはきだしてくれました。地下水の流れは、ひじょうにゆっくりとしています。ふった雨が地下にしみこみ、ふたたび地上にさきでてくるには、三百年も五百年もかかっているほどです。ですから、わたしたちは、江戸時代の水ものんでいます。
土にしみこまず、地上へすべりおちる水は、洪水です。一日で海へすてられてしまう水ですね。

ゆっくりと地下をくぐってきたわき水は、あつまって谷川になり、小さな川になり、やがて大きな流れになって、平野をうるおしてくれました。日本では、すこしくらい日照りがつづいても水がたえなかったのは、国土の七割をしめる大森林のおかげでした。

もう一つ、ふしぎなことがありました。森林の土はなぜ、水にとけてなくなってしまわないのでしょうか。

わたしたちがベランダやコンクリートの道の上に、植木ばちの土をひっくりかえしたりしてほおっておくと、いつのまにか土はなくなってしまいます。ところが山の斜面には、いつも土がありますね。ふしぎです。

それもまた森林のおかげでした。森林の木の根がしっかりと土をかかえて、斜面にはりつけていたのです。土ばかりではありません。土の下にある岩石も木の根はだきかかえてくれました。

大地はつねにうごいています。とりわけ、日本は火山国です。地震国です。そして、山は急斜面です。そのうえ、雨は、つゆと秋の台風の時期に、まとまってふります。こまったことが、四つもかさなりあっています。いまも集中豪雨のたびに、山くずれがおこっていますね。

もしも山々に木がなかったら、土ははがれ、山はくずれ、日本列島は石だらけになっていたことでしょう。雨のたび、土砂と洪水が下流をおそい、人々は平野にすむことができなかったでしょう。山くずれや水害から、平野をまもってくれているのも、森林だったのです。

さて、こうして森林にまもられながら、平野では、水田がひらかれていきました。平野の土も、もともとは、森林のおくりものでしたね。ゆたかな土と、ゆたかな水にめぐまれて、平野のお米はよくみのりました。そのお米は船にのせられ、川の水で町へとはこばれていきました。どこまでも、森林のおせわになりつづけだったのです。

お米がたくさんとれるようになると、平野はどんどん発展していきました。町はどんどん大きくなり、船の交通も、いよいよさかんになりました。木材も、いよいよ必要になりました。そこでもっとたくさんの木が、きりだされていきました。いかだ流しも、いっそうかっぱつになりました。

日本の文化は、このようにして発展してきたのでした。わたしたちが、この国土に生まれてくることができたのも、まったく森林のおかげでした。

でも、みなさんは、まだふしぎに思うことがありませんか。毎年毎年、おなじ畑に、おなじようにお米ばかりつくりつづけて、どうして土がなくなってしまわないのでしょうか。

日本へきた外国の専門家たちは、びっくりします。たとえばヨーロッパでは、一年、畑をつかったら、あとの二年は牧草地にしたり、肥料になる作物を植えたりして、土地を休ませます。日本でも、山おくのやせ地では、森林をはらってしばらくのあいだは畑につかい、土地がやせほそってくると、また森林にもどしてやり、何十年かして土がこえてきたところで、森林をはらってまた畑にする、ということを、くりかえしてきたものでした。

ところが、下流の平野では、おなじ土地にお米ばかりつくりつづけてこられたのです。それほどに、下流の平野は土がこえていたのです。なぜでしょう。

森林が、たえず土をおぎなってくれたからでした。森林の草や落ち葉が、肥料につかわれていきました。水田にひく水の中にも、土と土の養分がふくまれていました。そのうえ何年かに一度、洪水がやってきて、たくさんのつちを畑につぎたしていきました。

せっかくつくった作物が、水につかるということは、お百姓さんいとって、たいへんつらいことでした。けれども長い目でみれば、土のためにはありがたいことでした。お百姓さんたちは、「川が山の土を客土してくれた。」と、洪水に感謝さえしたのです、

そしてお百姓さんたちも、土からもらったものはみな、土にかえしていきました。お米を町にとどけると、かえり船には、町の人たちのしにょうをつんで、村へかえっていったのです。しにょうは土にかえされて、また土をやしなうことになりました。木材やもやした灰も、おがくずも、土にかえしていきました。

どこまでも、森林のめぐみをせいいっぱい、うけいれようとしたのです。そして土にせいいっぱい、お返しをしようとしたのでした。

【158P】

いま、わたしたちの社会では、あまり森林にたよろうとはしませんね。都市の足下は、コンリートだらけです。おかげで虫にも、ほこりにも、どこんこ道にもなやまされることはありません。わたしたちのくらしはべんりになり、そしてゆたかになりました。

でも、そのかわりに、すこし雨がつづていも、町は水につかるようになりました。川もきけになりました。すこし日照りがつづいても、水ふそくでおおさわぎをするようになりました。

その原因は、一つです。ふった雨も、つかった水も、土にかえさなくなったからです。ごみをしまつするのにも、土にたよらなくなったからです。

むかし、日本人が、土からもらったものはみな、土にかえしているときには、川はよごれるどころか、いまよりもずっときれいでした。水ものめました。さかなもぴちぴちはねていました。

かんがえてみれば、それはふしぎなことでした。でも、土がみな、ごみをしまつしてくれていたのです。

土の中には植物の根があります。その根についた虫もいます。オケラもいます。ミミズも、ヤスデも、ダンゴムシもいます。コケや、カビのような、小さな小さな生物もいます。そんな小さな生きものたちが、スプーン一ぱいほどの土に、何億も何十億も、あつまっています。土は、そんな小さな生きもののあつまりまです。

その生物たちが力をあわせて、ごみをかみくだき、食べてしまうのです。食べては、どんどん、なかまをふやしていくのです。そしてさいごは、炭酸ガスと水に分解してくれます。その水は、ゆっくりと、ゆっくりと、また川へ、はきだされるのでした。

そんなふうにして、生物たちが、かっぱつにうごきまわっている土が、こえた土でした。こえた土は、生物たちがよってたかって、またつぎの緑をそだてることになりました。土には、そんなはたらきがあったのです。

考えてみれば、谷川のみずがきれいなのも、ふしぎです。だって、森林は落ち葉だらけです。森林には動物のふんもあります。大きな動物や小さな動物の死体もあります。ヘビのぬけがらもあります。木のえだもあります。考えてみれば、森の中はごみだらけです。

それなのに、森林からでてくる水は、きれいです。ふしぎです。

それこそは、森林の土が、なによりもこえた土だからでした。土の生物たちがたすけあって、木の葉や死体をかみくだき、食べてはまた土をつくりながら、つぎの緑をそだてることになりました。

そんな土のすばらしさを、わたしたちの社会はわすれかけていたのです。

もう一つ、しんぱいなことがあります。山村が、すっかりさびれてしまったことです。

日本の山々は、戦争ではげ山になりました。そのため日本人は、水害や飢えに苦しみました。そのはげ山に木を植えて、山をつくりなおしてきたのが山村の人たちでした。そのくろうがようやくみのり、山々に緑がしげるようになったいま、山の人たちが、山をつぎつぎにおりてしまったのです。

なぜでしょうか。下流の都市のくらしのほうが、はるかにゆたかになったからです。

日本人は、石油をつかうようになり、山村の人たちは、炭やきではくらしていけなくなりました。木材も外国から輸入されるようになり、日本の木材があまり売れなくなりました。

まだあります。下流の都市のためにダムがつくられるようになり、そのダムに、村がしずむことになりました。こうして村ぐるみ、ふるさとを追われていった人たちもありました。

山に人口が少なくなると、学校もへりました。二十校あった小学校が、二校になったというところもあります。バスもへらされていきました。鉄道も赤字だということで、廃止されていきました。そんなふうにして、気がついたとき、下流の都市だけが栄えるようになっていたのです。

山村が、さびれてしまえば、どんなことになるでしょうか。山火事を発見する人も、けしとめる人も、ねくなってしまいます。山くずれを発見する人も、なおす人も、なくなってしまいます。木をきる人も、そだてる人も、なくなってしまいます。

そして、もしほうっておけば、土ははがれ、山はくずれてダムをうずめ、そのうち日本列島は、石の山になってしまいます。そうなれば、人間は生きていくことができません。土をまもっている人たちを、どうしたら、まもることができるでしょうか。

(略)

国土の七割をしめる広い山々を、ほんのわずかの人たちで、せいいっぱいまもっています。

(略)

そんな人たちに、下流にすむ人たちは、感謝しなければなりません。そして、その人たちが、これからもはりきって山でくらしていけるよう、ささえていかなければなりません。

【181P】

みなさんも、一本の木を見たら、
「これは、水をつくっているのだな。」
と、水道の蛇口を思いうかべてください。一本の木を見たら、
「これは、土をつくっているのだな。」
と、お米ややさいを思いうかべてください。そして、
「この木をそだてている人が、きっとどこかにいるのだな。」
と、人間のことを思いうかべてください。

森は生きている (新装版) (講談社青い鳥文庫)

« Prev - Next »