読んでみてください。。。渾身のルポでした。
ある時代、日本中の川という川にダムが造られる時代がありました。
発案から年月がたち、時代が変わっても、
作る理由を変えながら後戻りしないで進む巨大な公共工事。
ダムができると山村がダム湖に沈みます。そこには人が暮らしていました。
わたくし自身、もし関心を持つ機会がなければ
そんなことまでして作るものとは思わなかったかもしれません。
まして、若い世代の人たちは、生まれたときからダムがあるので、
山奥に忽然と現れる湖を「きれい」とか「気持ちいい」とか思うかもしれません。
(そんなふうに見える時もあるもの)
その陰に、どんな物語があるのか、本当に知って欲しい。
ちょっと話がそれますが、民映研の作品にも、ダムに沈む村を扱ったものがあります。
ダムに反対するための映画ではないそうなので、その意図を尊重しつつ
いつか上映会をしたいと思っているのですが、それも、
知ってほしい、感じてほしいと思うからなんですよね。。。
参考リンク(映画を観た人の感想ブログ)
ダムはもうすでに、あちらこあちらにあります。
それを今さら、一瞬にして元にもどすことは難しい。
では、どうしましょうか。
一人一人が考えてみませんか。
国からダムを迫られた山村の人たち。
悩み。お金。決断。もめごと。
それでも、、、もともと、ダムを望んだのは、村の人ではありませんでした。
奈良県川上村にある巨大な大滝ダムをめぐる物語。
それが、今日のタイトルにある渾身のルポです。
この川上村での物語は、全国のダムで同じようなことがあったということ、と言っていいと思います。
(調べてみてください、どこも似ています)
山村だけの、人ごととしての物語ではなくて、ダムだけの話でもなくて、
わたしたちが集合意識として選んできた価値観の中で起こったこととして、
または無関心のかたわらで進んできたこととしてとらえたうえで、
これからは、どうしたいのか、考えさせてくれる本なのです。
万葉ゆかりの山峡に陣取る構造物に向き合わざるを得なかった人々の来し方、そして今を追った。
昔は激しい反対運動もあったが、村はいま、コンクリートのダムとの共生、という模範解答をかかげている。何もかも水に流し、遺恨や悲哀をも湖底に沈めたいのだ(「はじめに」より)
遺恨や悲哀を飲み込んで、前を向く川上村。
最後には、そんな川上村に寄り添いたい気持ちになりました。