欲望や欲求に引っ張られすぎないでいたい

2020年03月13日

誰しも欲求はあるもので。
それがやる気の素でもあり、消してはならないものですが

人が間違える時も、欲求の罠にかかった時ではないかな、とも思うのです。

クレームを言う人も、「クレームを言いたい」と言う欲求が強いんでしょう。
クレームは、自分が不利益を被った時に、相手に対して言うのはわかる。
でも、自己流の正義感だけで、自分にはなんの関係ない相手に恫喝するようなクレームは、アウト。
わたしだったら、お友達になりたくない。。。。ご遠慮する。

間違いやミスの指摘も。
自分が見つけたと言う承認欲求?相手にダメージを与える快感?
もし、そう言う要素が含まれるなら恐ろしい。

ある全国的に知られる企業の社長さんの言葉で、
こんな人でもそうなのか と思ったことがあります。
企業が成長して株価が上がったりすると、周りもチヤホヤするし
それが自分の実力だと勘違いする。
お客様の喜ぶ顔が見たくて努力していたはずなのに、
いつの間にか、ひたすらに店の数を増やすことが目的になっていく。
それはご自身の経験でもあるようでした。

そこから気づかれたその社長さんは、今では本物の成功をされているようです。

チヤホヤされたら嬉しいですよね。(わたしはチヤホヤされたことないですが、さぞかし)嬉しいだろうと思う。
人間だもの。(あれ、あいだみつをさんみたい)
認められたい、偉いと思われたい、という、、、、これも欲求です。
しかも、なかなか、そう簡単には自覚できないと思います。
だって、最も認めたくない欲求だと思うから。。。。
「自分は認められたがっている」とは、認めたくないことでしょう。
「そんなことはない!!!」と百倍返しが来そうです。

だから、喜ぶなって言うのは無理ですね。喜びましょう。お祝いしましょう。
だけど、、、
嬉しい気持ちと同じくらい、冷静になる時間も必要。

高度経済成長も、バブルも、欲望が生み出しました。
最初は真っ当な欲望で、だんだんと、おかしなものになっていったように思います。
薬にも効能と副作用があるのと同じで。
薬漬けになったら、危ないですよね。

全ては、ごく普通の人々が欲望した結果。

だったら、ごく普通の自分が欲望といい付き合い方ができれば
社会にもいいんじゃないかと思います。
社会というと、人ごとですけども、
仕事や暮らしの中で実際に接点のある人。
そこからつながる、会うこともない誰か。

いえいえ、今や多くの人が気づいているのだとも感じるのです。
真っ当ってなんだ。
幸せってなんだ。
そいつを求めてみようって。
そんな欲求を、見つめてみたいと思います。