日本人が好き。日本という国土が好き。
日本人に生まれてよかったと思う。
縄文時代を調べてみてから、やっぱりそう思う。
今の権力者や政府が好きなのではなくて、
名もなき民衆と、水と緑と土に恵まれた
地球的偶然から生まれた奇跡的な国土が愛しい。
それは、じわじわと壊れてきたのだと思う。
いつからかは定めることはできないけれど
弥生時代以降、武器が出土した時からとも言えるし、
種子島に西洋人の手が及んだ時からかもしれないし、
明治維新からかもしれないけれど
それでも日本人は、日本を保ってきたと思う。
決定的だったのは、第二次世界大戦に敗戦し
いよいよ、乗っ取られてきたのではないかしら。
それから75年がたつ。
戦争を知らない子供たちは、高齢者になった。
この国では、子供は宝だったはずなのに、
今は幸せを感じられていないのではないか。
それを認めるとする。だからどうしましょうかと考えたら
やはり日本人が日本人らしく暮らしていくことだと思えてならない。
自然や道具など、全てに神が宿るとして敬意と感謝を持ち
人と助け合うことができる人たち。
いつも外国人を驚かせた、清潔で幸せそうな人たち。
自分がまず、そんな日本人になろうではないかと思う。
戦後の教育を受け、人と自然、人と人との分断が埋め込まれたけれど
もう一度、自分なりに調べて、考えて、感じ取って、自分の哲学を持とうと思う。
自分の文章を転載する。
わたしが雑誌を作っている理由とも重なる。
そもそもの気づきは、二つの震災だったように思う。海外のメディアが、暴動を起こさずに列に並んで待つ人たちを驚きをもって伝えていた。自分の命を顧みずに、人を助けた人もいた。究極の選択に迫られながら、人を思うことができるわたしたち日本人とはいったい何だろう。現世人類がアフリカ発祥とすれば、いつ、どこから来て、どのように今の日本人につながるのだろう。
辿っていくと、日本列島が大陸と陸続きだった時代に遡ることになる。北から、南から、獲物を追ってやってきた人たちの時代もあった。しかし、何よりも興味をそそられたのは、それまで原始的で野蛮だと思われがちであった縄文人が、豊かな定住生活を営み平和に暮らしていたと知ったこと。それまで彼方にあった縄文時代が「扉をあけてごらん」とばかりに、にわかに目の前に現れた。
そのころ小耳に挟んだのが、「縄文人って、一日3〜4時間ほどの労働で、あとは歌ったり踊ったりだったらしいよ。芸術的な作品を作る時間もたっぷりあったんだ」という説。以前から不思議な感動を覚えていたユニークな土器や土偶たちは、手間暇かける余裕のある働き方の中で生まれたのか。縄文には何かある。その灯火のような思いだけを頼りに、考古学などちっともわかっていない自分が、迷い道へと一歩踏み出す。本を読みかじっても、博物館を訪ねても、一つ知れば、一つ疑問が生まれ、それがまた興味をひきつけるという連鎖が始まっていった。ネットのお世話にもなった。この稿は、そんな道すがら妄想まじりに感じたことを分かち合うための、つぶやき程度に読んでいただければ幸いだ。
縄文人はいったん絶滅したという説もある。はたして彼らは、わたしたちの祖先と言えるのだろうか。これについては、核DNA(ミトコンドリアDNAよりも1000~1万倍の情報量)の解析技術が進み、日本人のDNAは、大陸系の人々のものとは大きく異なって独自に進化したもので、現代のヤマト人も約12%(沖縄の人は20%以上、アイヌの人の場合は50%以上)の遺伝子情報を受け継いていることがわかっている。これが発表されたのは、つい2016年のこと(※1)。日本人のルーツは、やはり縄文人。ますます気になる。
古代史には諸説ありの部分も、今だ謎の部分もあり、想像の余地で遊ぶ楽しさがある。最近のわたしの縄文話ときたら、友人たちは「また始まった」と思っていることだろう。そこで、ここでは大きく心を動かされたことについて二つ挙げてみたい。
ひとつは、縄文文化が花開いた前提として、日本には豊かな森ができていたこと。2万年前までは氷河期(今より6~7度低い気温)で、1万5000年前頃からの急激な温暖化で氷が溶けて海水面が上がり、列島が大陸から独立していく。それとともに、徐々に列島に森が広がっていった。その後、さらに温暖化し(今より2度くらい高め)、ピークの6000年前頃は、縄文文化の最盛期。内陸部深くまで海が入り込み、森の栄養分を含んだ水や土砂が運ばれ、魚介類も繁殖。森ではドングリやきのこ、山菜が採れるし、鳥やイノシシやシカもいた(ちなみに、その後また少し寒冷化し、東日本の縄文が衰退したらしい)(※2)。
いろんな遺跡から、木の実をすりつぶす各種の石器や、狩猟のための石鏃、骨で作った釣り針、漁網用の石錘が出土する。保存加工や貯蓄もでき、人々は食べることに困らなかった。火を囲んで土器で煮て食べたんだろうなあ。もし、少ない食料を奪いあう環境にあったなら、1万年もの間平和が続いただろうか。地球がくれた奇跡に感謝したくなる。
もうひとつは、武器が出土しないこと。縄文遺跡の博物館を訪ねた際にも度々聞いた。「縄文遺跡から武器は出てきません。武器が出土するのは弥生以降です」。とんでもなく驚いた。有史以来、人はずっと権力や富を競い、争ってきたではないか。それ以前の縄文人は、1万年もの間、平和を保ち続けたというのか。人間誰しも揉め事はあったと想像する。それでも、一網打尽の殺し合いはしなかった。動植物や自然現象、道具や家など人工物にも精霊を感じ、祈った。
なぜ、そんなことができたのだろう。森の話とも関連するが、環境考古学者の安田喜憲氏はこのように述べている(※3)。「(他人のものを収奪する必要がなかったため)富の蓄積の上に立った強大な権力者も誕生せず、支配と搾取、殺戮とはあまり関係のない社会が長らく続いた。なわばりよりも、すみわけを優先するエコシステムが維持されたのである」。民俗学者佐々木高明氏の指摘として「北米西岸のアメリカ先住民(アメリカインディアン)や東南アジアの焼畑民(筆者注・縄文時代の稲作は焼畑だった ※4)の社会には、かたよった富を一気に社会に還元する再分配のシステムがある」「おそらく縄文時代にもこうした富の再分配のシステムがあったのではないか」とも。
また、縄文時代は血縁部族社会でもあったという。長老たちは、集落に住む者たちが、古きをたどればみな家族であることを伝えただろう。縄文人とは、人の愚かさに対してあらかじめ備えている賢明な人たちであったように、わたしには見える。人にも自然にもやさしい社会、武器を必要としない社会を1万年も保つことができていた森の民、わたしたちの祖先を誇りに思う。そして願わくば、1万年後がもしあるなら、子孫にこんなふうに言われてみたいと思うのだが…。
「21世紀を生きた我々の祖先は、進み過ぎた科学技術と人間のエゴが、自然との調和を破壊することを認め、一見先祖返りとも思われるライフスタイルを自ら進んで選ぶようになりました。すなわち、豊かな森に抱かれた国土の力を最大限に生かし、水と土と空気を清浄に保ち、必要に応じて科学の力を用いながら、かつてない調和社会を構築したのです。この、日本史上大きな転換点といえる21世紀の出来事がなければ、今わたしたちは存在していなかったかもしれません」と。21世紀は、あと80年残っている。
(※1)国立遺伝学研究所の斉藤成也教授らの研究による (※2 )岡村道雄『縄文の生活誌』講談社学術文庫 2008年
(※3)安田喜憲『森のこころと文明』日本放送出版協会1996年 (※4)佐藤洋一郎『稲の日本史』角川ソフィア文庫
さとびごころvol.36(2019.winter)より
人が悲しみ、苦しむような状況を、もう変えていきませんか。
私たちには遺伝子がある。幸せになりましょう。
今 すでにある足元の自然と、今 目の前にいる人たちを大切にして。。。