12月になりました。更新できなくなってきた(汗)。

2021年12月01日

ある時期から、毎月1日は更新しようと決めて。
ずれることもあったけれど、自分の中では定着してきた感じがする。
11月はまったく放置していたけれど、そのまま放置でなくこうして12月1日に更新してるじゃないか、えらいぞ。

今日もひとりごとをつぶやきます。

神社参拝するひとは、「お一日参り」をされる。
わたしのふるさとではあまり聞いたことがなかった(神棚は大切にされており、家族は毎日手を合わせていた)ため、
奈良に来てから知ったのだが、いいことだと思う。

 

月に一度(あるいは15日も)、人智を超えたものに対して祈る。
自分を振り返り、感謝し、これからへの力をいただく。

毎月1日に投稿しようと思ったのは、自分バージョンのお一日参りのつもり。
ここに書かないことも含めて、振り返りと感謝とこれからのことを思う時間をとるのだ。

 
 

この一年は、同調圧力ということを考えさせられた。
周りの人と自分の考えが違うとき。周りに合わせないとぎくしゃくしてしまう。
だけど、自分の考えを捨てたり変えたりしなくていい。
そう思った。

 

一例をいうなら、マスク。
マスクをしてください。消毒してください。離れてください。喋らないでください。
いろんなところで強いられた。
強いてくる人は、どこか生き生きしているように見えた。

 

あっさり従う。

 

マスクに意味があるのか、わたしはテレビの専門家さんがおっしゃるようには考えていない。
ワクチンを打っていても、いなくても、ノーマスクが通じる人たちとの間では、楽だ。
ノーマスクを人に求めるつもりもない。

 

そのかわり、食べもの、手洗い(消毒ではなくて)、休息、体を動かすこと、精神的健康などは
今まで以上に考えるようになったし、これは副産物となった。
畑活は、2年前、コロナ禍の影響で時間がたっぷりできたことから実行に移す機会を得た。これも副産物だ。
気まぐれではなかった証に、今年も毎日のように通い、感じるところ、得るところが多い。

 

もともと、「自然に近づく」ということに関心がある。
ということは、この文明が自然から離れているという自覚があるということでもある。
雑誌づくりの根底にもそれがあった。
最初はまず知ることから始まったが、知ったことは実行してみたくなる。
「知っただけ」で、知ったようなつもりになることが嫌だ。
だからといって、なんでもかんでも実行できるわけではなく、体と時間の許す中で選ばなくてはならない。
畑は、ベストな選択だった。

 

マンション暮らしをしながらも、毎日畑に行く。
そこは庭ではなく、食料を栽培するところ。自分の命の一部を作るところ。
自然が自分の命の一部をつくってくれる、そのしくみ理解するところ。
案外、森づくりする人が言う原則と重なることが多かった。

 
 

高齢者の仲間入りをする時が近づいている。
どんなふうに年をとり、どんなふうに死んでいくのか。
畑をしていると、「これだけは最後まで現役でやり続けたい」と思えてくる。
それを基軸に、これからの夢や方向性が開いていくような気がしている。
2020年のことを、のちに転機と呼ぶことになるのかもしれない。

 

そしてもうひとつ。近頃更新がにぶくなったこのサイトであれ、オフラインのファイルであれ、なんであれ、きっと毎日、どこかで書いているんだろうな。