ナリワイとは?

2014年03月02日

若い頃からずっと、いや、コドモの頃からずっと、
人にはバトルタイプと、非バトルタイプがあることを感じていたと思います。
(スポーツする人などは、きっとバトルタイプ?)
わたしはたぶん、非バトルタイプで、つまり、いつも負けるだめな人だと思っていました。
バトルタイプの勝者はいつも、みんなの模範でしたから。

それだけに、非バトルタイプも、ひとつのタイプであって、
タイプにあった生きる道もあると提唱するこの本を、今とても面白く読んでいるところです。

前書きから一部を転載します。
本文は書かないので、著者の方も許してくださるに違いないと
勝手に想定して…。

 個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を「ナリワイ」(生業)と呼ぶ。
 これからの時代は、一人がナリワイを3個以上持っていると面白い。

 仕事といえば、就職。つまり会社で一つの仕事をする、という考え方が常識だ。さらに現代では、「生活を犠牲にしてやるのが仕事」という定義も半ば常識になってしまっている。仕事は、自分の時間と健康を切り売りして、マネーと交換するものであると。
 でも、それがしんどくなってきた。体を壊して、会社をやめる人は少なくないし、私の知人友人でも「うつ」や過労で会社を辞めた人が10以上出てしまった。

どうも、これはおかしい。
いまだに、キャリアコンサルタントと名乗る人がメディアで「人生の大半を占める仕事なのだから、ちゃんと選びなさい」と就活生へのアドバイスを送っている。だが、その前に考えてほしい。人生の大半を、人生から乖離した仕事に占拠されてしまっていいのだろうか。

 ところで、大正9年の国勢調査で国民から申告された職業は約35,000種、現在の厚生労働省の「日本標準職業分類」によれば、いまや2167種。わずか90年程前には、はるかに多様な職業の種類があり、職の多様性も高かった。
 だが、戦後に「株式会社日本」は多様性を切り捨て業種を絞り込むことで急成長した。それが高度経済成長だ。
 21世紀初頭、絞り込んだ産業は曲がり角を迎える。2012年の現在、まずは製造業が大規模リストラをはじめ、わずか3つの会社から2万人以上の人がリストラされる予定である。仕事の多様性を失った私たちは、どこへ行こうというのか。

年収が高くても、その分ストレスのために寿命を縮めたり、支出を増やしていたら本末転倒である。

 現在、「新しい働きか方」として提唱されているのは、これからさらにグローバル化が進み競争が激しくなる。だから世界に通用する高いレベルで能力を磨き、自分自身を広告的に宣伝し、稼げる仕事をしていこう、おおよそこんな考え方が大半ではないか。
 グローバル社会で全世界を相手にした殴りあいの競争をして健康が実現できるのは、かなりのバトルタイプ(戦闘型)だけだ。
 本書で述べる「ナリワイ」の作成は、そうではない。でかい仕事は、バトルタイプの戦場だ。隆盛を誇った巨大ウェブサービスが数年で衰退したという事例を現代に生きる私たちは目の当たりにしている。「ナリワイ」は、そうではなく、小さな仕事を組み合わせて生活を組み立てていく。つまり、恐竜ビジネスモデルから微生物ビジネスモデルへの転換を図ろうというものだ。具体的な「ナリワイのタネ」を生活の中からみつけ、一つ一つを自分の小規模な自営業として機能させていくことを目指す。派手は資金調達は無用、むしろ(それは)出資者にホームランしか許されなくなるので有害である。

まずは、生活持久力を高めて、無駄な支出をカットしていく必要があるだろう。惰性で買い物していることは、案外多い。

自分のほしい物を、なるべくお金を使わず自分で工夫してつくったりすると、生活自給力がつく。その中でよい工夫があれば、それがそのまま「ナリワイ」になる。

「ナリワイ」は生業だから、生活でもあり、仕事でもある。労働かと言われれば、やっていて楽しいということも大事な条件なので、単なる労働ではない。「ナリワイ」はあくまで、人生を直接充実させるような仕事を指す。

会社勤めでも、就業にさしつかえない程度に、一個付け足すぐらいは誰にでもできる。一個でも「ナリワイ」を持つことができれば、それまで収入を完全に会社に依存していたときとは全く違う景色が見えるはずである。それは、生きる自信につながる。

 小さくやる。生活でもあり、仕事でもある。いくつか組み合わせる…これって、エルインクもそうです(笑)

興味のある方は、いかがですか。
伊藤洋志 『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』東京書籍 ¥1300