5月のこと 九州めぐりメモ-3
スタジアムのあった場所から北へ移動して、
そこらへんで泊まり、
早朝の西都原(さいとばる)古墳群へ。
宮崎では原のことをバルって読むんですね。
そのまんま東さんのお名前は、ひがしこくばる ひでお さんですものね。
あ → う になるところが、なぜか、かわいいです。
天気にも恵まれ、それはそれは美しいところでした。
初夏の、こんなすばらしい日に、この場所に来れたことを、幸福に思いました。
西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)とは、宮崎県のほぼ中央に位置する西都市の市街地西方を南北に走る、標高70メートル程度の洪積層の丘陵上に形成されている日本最大級の古墳群である。3世紀前半~3世紀半ばから7世紀前半にかけてのものと推定されている。(wiki より)
大和でもさかんに古墳が造られていた頃、ここにも
大きな勢力があったのでしょう。
すぐ近くには、ごく普通の地方の町並みがあります。
農地に、住宅に、工場に、、、、なっていたかもしれません、古墳でなければ。
古墳群内にある案内所は、早朝のためまだ空いていなかったのですが、勤務されてきたばかりの方と
少しお話できました。
「わたしは関西のほうでサラリーマンをしていましたが、定年を機に故郷に帰り、地元の役にたちたいとこの仕事をしています」
やさしく解説してくださいました。
初めての本格的な大正でしたが、それにかかわらず地元の方はこの場所を大切に守ってこられたとのことです。
近くの神社へも行きました。
コノハナサクヤ姫の父上が祭神。
コノハナサクヤ姫さまは、アマテラスの息子さんニニギノミコトのお嫁さんです。
神さまの系譜をさらっと言えたらいいなあと思いますが、実際にはなかなか・・。
資料を見ると、コノハナサクヤ姫とニニギノミコトのお子さんたちが
ホオリノミコト(あの、山幸彦!)ホデリノミコト(あの、海幸彦!)、ホスセリノミコト(ならまちにあるお店の名前みたい)のお3方です。
ニニギノミコトは、葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたといいます。これが天孫降臨ですね。
神社の目の前には、小さな池があり、そこは「コノハナサクヤ姫が火の中で生まれた3皇子の産湯として水を使われた池」だそうです。
この池で、おじさんが何かしていました。
おじさんは、めだかを集めていたそうです。自宅の水場にめだかを放つとぼうふらがわかないとか・・。
ぼうふらを生態学的に防ぐおじさんにプチ感動。
プチ感動しながらも、天孫降臨ムードにつつまれ、博物館へ行きました。
宮崎県立西都原考古学博物館!
非常に美しく整備された、わかりやすい博物館でした。
火山活動が活発だった原始からの、この地の物語が展開されています。
また、古墳内の模型もあり、上からのぞき込めるようになっていました。
(床がガラスになっていて、そこから古墳内をのぞくしかけ)
出雲大社のとなりにある島根県立古代出雲歴史博物館や
伊勢神宮にある式年遷宮記念せんぐう館も、楽しいですが、こちらもとても楽しかったです。
陳列と説明文、というだけでなく、想像させてくれる工夫があります。
博物館を出るころには
車やバスの乗り入れも増えていて、
人々がお弁当を食べたり子どもと遊んだりしていました。
あちこちに駐車場があり、余裕があります。
人が増えても「混んでる」感じがなくて、ゆったりしていました。
わたしたちも、車から椅子を出してきて、ランチしました。
たんぽぽが生き生きしてました。
西都原の次は、高千穂へ行ってみよう。
つづく