ドイツの森林愛

2015年09月06日

昨日、ご縁があって、急に教えていただいた村尾行一先生の講演(谷林業株式会社にて)を聞いてきました。

「感動しい」なところがあるため、何から何まで面白かったのですが、
その中でもドイツに留学されたご経験からドイツの都市林業についてお話をうかがうことができたことは
特に印象に残りました。

講演後、著書へのサインに応じておられる村尾行一先生

覚えている限りで、書きます。(まちがいに気づいたら後で修正するかもです)
ドイツは、森を大変大切にしている国だということを痛感しました。都市の近くに生態学的で近自然的な森林があり、住民は、普段は不健康な生活を送っていることが多いため、休日や仕事帰りに、そこで安らいだり健康増進のためのウオーキングをして楽しみます。「森林立ち入り権」というものがあり、レクリエーション目的であれば、誰の山でも立ち入ってよいし、きのこ、木苺などを、(ここ、びっくり)「採ってもよい」。「森を歩く」ことは、病院の処方のひとつでもあり、保険の対象になっているためお金がかかりません。野生動物も普通に棲息しており、人と平気ですれ違うのだとか。そもそも、レクリエーションとは再生の意味だ、と聞いたときは、「そうか!!」と膝を打つような気持ちでした。たしかに、もう一度の意味の「re」と創造という意味の「creation」がくっついているではありませんか。

わたしは個人的にですが「再生」というのは、かえすがえすもキーワードだなと感じています。

話が逸れますが、夫が勤めている社会福祉法人ぷろぼのが運営するITセンターは、障がいある人の働く場づくりをしているところですが、そこで働く人たちを見ていると、ここで人生の「再創造」をされていると、ひしひし感じるのです。(もちろん、イージーにとはいかなくても、若手の支援職員ともども、精いっぱい努力されていることをわたしは知っています)
夫自身も、ぷろぼのに転職することで、再チャレンジさせていただいています。

また、雑貨や家具の分野では、ビンテージ感のあるものが人気がありますが、これも「古いものをもう一度大切にしたい」という思いのあらわれだと思いますし、そこには自分の価値観の再生があると思うのです。

空き家問題が心配されると同時に、空き家をリノベーションして住みたいという人はとても多いと思います。「新築をあきらめる」という背景もあるかもしれませんが、今あるものの豊かさを大切にしたいという思いの現れのように、わたしには思えます。

森林もまた、都市で暮らす人の再生のための場所なのですね。

ここらへんで、話を戻して続けます。

木は、商品として価値の高いものを、生態学的な考慮のうえで伐採され、ビジネスとしても成り立っています。
そして、近くにはおいしいビールやワインが飲める店があり、ここでも、地元にお金が落ちます。ビールの原料が、森からもたらされる水であること、チーズや生ハムになる家畜も、山の傾斜地で自然に育てることによっておいしく食べられることも、人々はよく知っており、森を愛しています。ちなみに、アウトバーンも、ナチスによって開設された当時は「道」だけでしたが、今では両サイドを森が囲んでいるとのこと。(ほれぼれ・・・。)

林業家は、生態学、経済学、史学を学んだ専門家であり、医師と同様の社会的な評価の高いものです。村尾先生がドイツ留学時代、地元の居酒屋で「林業学の学者だ」と自己紹介したとたん、特別席に案内されてしまい、何故なのかを聞いてみると「医者は患者一人を救うけど、森はすべての命を救っているだろ?」と言われたそうです。ドイツの林業は、木を栽培して、収穫して、売るだけの仕事ではないため、日本語であてはまる言葉が存在していません。都市林業の「林業」という言葉は、日本でいう「林業」よりも意味が広いものです。(また、「都市林業」とは、あくまでも「都市林」ではなく、都市の中にある林業であり、都市住民をユーザー対象とした林業ということでした。)

このような森に対する高い価値観は、どのようにして生まれたのでしょうか。

歴史をさかのぼれば、ナポレオンへの反抗(ここは自分ではまだ、知識不足で腑に落ちていませんが)、産業革命への反抗(ロマン主義というのは、ここから生まれたのだそうです。アーツ&クラフト運動だけではなかったのですね。目からうろこ)から、自然を大切にする意思が生まれていったそうです。そういう背景や日本との成り立ちの違いがあることも知っておくべきことですね。

日本はどうでしょう??? 明治、大正、昭和(特に戦後)と、ひたすらに欧米に習っているうちに、日本ならではの自然や文化を次々と消してきたことに、ようやく気づき始めたと言えるのではないでしょうか。お手本のひとつであったドイツは、こうして世界有数のエコロジー先進国になっています。日本は、もともとエコロジーな国だったと言えると思いますから、「再生」することで、すばらしい国になれるはずだと思えてなりません。

わたしは手をあげて、「なぜドイツの人はこんなにも森を愛しているのでしょうか」と、(恥ずかしかった・・・いかにも素人くさい質問でした)聞いてみました。先生の答えは、ずばり、

「教育ですね」

とのことでした。

そこで、注目しなければならないのが「森の幼稚園」です。教育は、幼い時代が重要であることはいうまでもありません。(このとき、わたしは智頭町の「森のようちえん」を求めて移住者が増えていることや、わたしたちが親しくしていただいている熊野の共育学舎さんが始めようとされている「あたらしい学校」のことなどが、ぶんぶんと浮かんで流れていきました・・・)

手元にあった配布資料は、まさに「森の幼稚園」について書かれてあるものでした。発祥はデンマークの一人の女性が、

「自分の子供をはじめ近隣の幼児たちが森林の中で遊ぶことを喜び、自ら自然をよく観察して楽しんでいる」ことに気づいた

ことによるものでした。1954年、世界初の森の幼稚園が創立されます。それがドイツに広がり(はしょっています)、2000年までに400箇所に増えました。その特徴は、少人数を(手厚い数の)保母とおじちゃん(保父)が見守る中での、いい意味でのほったらかし(はしょっています)。森林さえ与えれば、子供たちはそこで遊びまくり、学びまくるというしくみです。お遊戯も、お勉強も、ありません。

森の幼稚園はドイツの森林教育の基本

ここから、次第に高等教育へと続く教育システムの中で、森林・林業教育が尊重され浸透していくようです。。。

今、わたしたちの暮らしているところで、「森の幼稚園」は、まずないと思いますが、子供たちを自然に触れさせてあげることはできると思いますし、それが将来の森林愛や国土愛、環境愛に繋がってほしいなあと思います。そして、もう子供ではなくなってしまったわたしたちは、いえわたしたちこそ、森の価値をもっともっと学びたいと思うのでした。知ること、気づくこと、変化することの繰り返しの中から、幸せな環境をつくりだしていきませんか。