東北旅-6 白神山地ビジターセンター〜岩木山神社へ

2016年04月21日

いつもずいぶん長編になってしまう、旅の記録。
おつきあいくださり、ありがとうございます。

前回は、三内丸山遺跡を訪ねたあと、引き続き白神山地方面をめざす、
ということろまできました。

こんなふうに移動してきた(していく)わけですね。
東北の地理、まだまだピンときていません。
秋田県と山形県はどちらが北でしょうか?と聞かれて直感的に答えられますか。
青森県に接しているのは秋田県です。
(ちなみに、関西では松江市と聞いて四国の?という人は多いです)

移動中に昼食を食べた中華のお店

白神山地(しらかみさんち)は、青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がっている標高1,000m級の山地(山岳地帯)のことをいう。 白神山地は、屋久島とならんで1993年(平成5)12月、日本で初めてのユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された[1]。 そこには「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」(世界遺産登録理由)している。(wiki)

走っていると、前方にきれいな山が見えてくるのです。
なんだか、見とれてしまう山だったのです。

 

 

これは、岩木山というらしいです。

西目屋村というところに入り、ビジターセンターに到着。

 

運転手二人は疲労のため、仮眠。わたしだけ、覗いてきました。
映像ルームで全体的な紹介を見てから、展示コーナーも見ました。

全体の面積は13万haでそのうち約1万7千ha (169.7km²) がユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている[1]。青森県側の面積はそのうち74%の126.3km²を占め、残る43.4km²は秋田県北西部にあたる。(wiki)

地質調査の結果、約8000年前には既にブナ林が形成されていたことが分かっており、約10000年前に最終氷河期が終わるとすぐにブナ林が形成されたと考えられる。その後、まったく耕作されずに山地のままであった。これはブナに使い道がなかったことが大きく作用している。

使い道がなかったために、縄文時代から続く13万ヘクタールもの森が残っていました。
高速道路の建設という話もありましたが、地元の人たちの(自然保護というだけではない動機も含めて)反対運動があり、世界遺産となってからは大切にされています。

世界遺産にならないと、なかなか大切にされないのでしょうかしら。。。。
耕作地や木材生産地としては向かない広大な森が残っていることに感謝します。

山は、そこにあるだけでも価値があるような気がします。
だから、昔から山には神さまが降臨すると思われてきたのではないでしょうか。
誰かの所有地であるとか、国有地であるとか、世界遺産であるとか、
そういう軸とは違う価値があると思えてなりません。
それを少し、ありがたく、利用させていただく。
そんなつきあい方を、取り戻せないものでしょうかしら。
世界遺産でなくても。
身近な森であっても。

残念ながら冬季なので、すべてのコースがお休み中。
まあ、疲れた二人にとっては、それでよかったのかもしれません。。。

いつか、また来ます。緑の美しい季節に・・・。

近くのダムへ行ってみましたが・・・

やっぱりだめ。

そこで、あの美しい山が近くにそびえていることに気づき、神社があることがわかりました。
ぜひ、そちらへお参りしてみましょう。

どんどん近づいていきます。

そして、着きました。

鳥居を臨むと、山の頂上が見えるようになっていますね。


ご神木が堂々としていました。

途中に、おっと、「出雲神社」というものがありました。
「出雲」には反応してしまうわたしたち。お参りしました。

なんだか、似てる。

では、進みましょう。

 

 

そして、拝殿まで行ってお参りしたのですが
なんとなく写真をとるのが失礼な気がしまして、遠くからと、周辺を撮りました。

これ、大きくないですか。

太陽がきれいでした。
逆光なので暗く見えますが、充分明るい時間帯でした。

岩木山神社。

昔から農漁業の守護神として、津軽の開拓の神として、地元の人々の祖霊の鎮まるところとして、親しまれてきた[1]。なお神社の参道は岩木山の登山道の1つとなっていることでも知られており、この神社の奥宮は岩木山の山頂付近にある。(wiki)

祭神

顕国魂神(うつしくにたまのかみ)-大国主神
多都比姫神(たつびひめのかみ)-宗像三女神の湍津姫神[3]
宇賀能売神(うかのめのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)

以上をまとめて岩木山大神(いわきやまおおかみ)と称する[1]。

なお、顕国魂神、宇賀能売神については、いかなる神なのか、異説が多い[3]。顕国魂神については、大国主神の別称の一つとされるが、疑問の声も出ている。(wiki)

創建については諸説があるが、最も古い説では、宝亀11年(780年)、岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされる

780年に創建されたという説もあるそうですね。でも「昔から農業や漁業の守り神」として、、、という自然崇拝的なものがもともとなんだと思います。そこに後に、そこを支配した人たちが上書きするように、名前が付くのではないでしょうか。

大国主神が祭られているとしたら、農業や漁業を指導した偉人がいたのかもしれませんね。
三内丸山を見てもあらためて思ったのですが、縄文時代から交流はとてもさかんでした。宮城、長野、新潟、、、東北はいろんなところと繋がっていました。日本海をつたって、出雲とも交流があったことでしょう。大国主さま、全国的に頑張っていたのかもですね。

この神社にお参りしたわたしたちは、なんだか満足感を得ることができました。

青森から移動する間、気になっていた美しい山にお参りできたのでした。

今日の予定はここまで。今夜のうちに、明日の山形入りにそなえて
仙台まで移動です。東北は広い。移動距離もはんぱないです。

つづく

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