東北旅-4 縄文にふれよう 三内丸山遺跡へ

2016年04月20日

早起きして、宿を出る。
昨日からの雨は、みぞれに変わっている。
押し越していく車の窓に、へばりついているみぞれ。

冬っぽい景色。

途中で、たんぼを横切る水路のようなものを見て、ちょっと降りて見たりして。

移動中。

青森中央道。

今日は三内丸山遺跡へ行き、白神山地の片鱗に触れ、
その日のうちに仙台へ移動して翌日の山形への移動に備える予定。

最近縄文への興味が再燃中のわたし(たち)。
http://office-l-ink.com/archives/2637
http://office-l-ink.com/archives/2645
http://office-l-ink.com/archives/2653
http://office-l-ink.com/archives/2661

その代表的な遺跡に、ついに来ました。

ここで想像にひたる一時を満喫したいと思います!

それではこれより、ひたすら写真で。

まず、特筆しておきたいのは、入場無料、博物館の撮影もOKという、非常におおらかな施設であった!!!ということです。

最初に、博物館を見学。

博物館の入り口で、元気な男の子が迎えてくれました。

この男の子のバックにあった、導入のメッセージ。

「自然とともに暮らし」「青い海と青い森に支えられた豊かな文化」
そう、それにふれたくて、奈良からやってきました。

人類の歴史のほとんどは、自然とともに暮らしてきていて、
年表の最後の最後の一瞬だけ、自然を壊しながら今に至っている。
でも、その危うさにも気づいています。
これからは、自然とともに暮らすほうへ進むのが「進化」だと思うのです。

 

まずはこのコーナー

これ、ポシェットです。ぽろぽろと崩れそうになるものを、注意深く展示されています。すばらしい工芸品です。

撮影自由だったので、たくさん撮ったつもりでしたが
あまりたくさん載せても面白くないかもしれませんね。いくつか選んで載せておきました。

博物館は、さらに続きます。マネキンが随所に置かれていて、縄文人を身近に感じられるような展示になっていました。

当時の環境について映像で案内されていました。

土器を作っている人がすわっていて、どきっとしますよ。


ここでは膨大な数の土器が見つかるので、その破片のひとつひとつから、復元される手間ひまも膨大なんだと思います。土器の一部が白く見えているのは復元されている途中のもの。

縄文人のファッション。今でもエスニックなチュニックとして着れそうなデザイン。麻織物です。お手製の国産の麻ファッション。最先端ですね。
博物館の人が、「お持ちしましょうか」と撮影に協力してくれました。

 

博物館をぬけると、屋外の展示に続いています。ちょうど、ボランティアガイドの時間だったので案内していただきました。
70歳代くらいの親しみやすいおじいちゃんでした。

「ここはもともとプロ野球の球場ができるはずだったんですよ。でもね、江戸時代くらいから【ここにはいろいろと埋まっている】ということがわかっていたものでね、球場の工事の前に一度調べてみることになったら、これが出る出るわで。このまま球場を造るか、保存するかで意見がわれたんですけど、当時の県知事の決断で、球場はやめる!ってことになって。ほんとは球場になるはずだったんですよ」
と、個人的にはかなり球場にならなかったことが残念なご様子でした。もちろん、遺跡の価値はご存知だと思うのですが(^^)
おかげさまで、わたしたちは縄文に触れながら現代や未来のことを考えることができます。
この入場無料撮影OKの遺跡が、たくさんの人に愛されますように・・・。

 

住居跡などが集まっている敷地の外側へ道があり、その道沿いに大人のお墓が並びます。ガイドさんいわく、「当時の人口と墓の数からして、全員が埋葬されたわけではないと思う。はやりリーダーのような人がいたんじゃないかと、僕は思うな。人が集まれば、自然と、頭のいいのとか、そういうのが出てくるのが普通じゃないのかな」
また、大人の墓が村から距離を置いたところに並んでいるのに対して、子どもの墓は村の近くに置かれていたそうです。
まるで亡くなった子どもが寂しくないように、みんなの近くに置いてあげたのかなと思えてきます。

木々に囲まれていると、深い山の中のように思えますが、ここ三内丸山は海も川も近く、
食べ物の調達や交易に大変便利な位置にあったということは
ここに来てみて、やっと実感できたことでした。

六本柱とならんで、三内丸山の象徴的な建物である大型の竪穴住居跡が見えます。


が、その前に竪穴式住居跡の見学。

たしかなことは柱の跡のみ。構造や内部のつくりは「想像」で作られたものらしく、縄文時代が実際にどうだったのかは今となっては絶対的なことは知り得ないのだそうです。傷んでくると作り直されるそうです。

せっかくなので接近して、床の下などにももぐってみました。


南盛土を見学。大量の土器や石器、翡翠の玉などが見つかりました。

現場はトンネル状の屋根がついていて、その屋根の下にあるドアから入室すると
見学できるようになってます。

ちなみに、奈良では花粉症のシーズンを乗りきったと思っていた人は、
こちら東北ではオンシーズンまっさかりということで、
マスクが手放せませんでした。しんどそうですね。

遺跡には翡翠や土偶がたくさん見つかった「南の盛土」と、ごみ捨て場として植物の種や動物の骨などがよく見つかる「北の台」があります。北の台は水分が多く、木製品も残っていたそうです。

つづく

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