東北旅-7 仙台から移動して山形県・天童市へ

2016年04月26日

風邪なのか、花粉症なのか、頭がぼーっとしてくしゃみ、鼻水、咳が苦しいです。

スギやヒノキでないことは確か。わたくしは、自分では花粉アレルギーではないつもりですので

黄砂なのかと思ったりしています。しんどい日には、「黄砂が飛んでるで」と家の人が言っています。マスクが手放せません。

 

 

 

東北旅は後半になりました。

岩木山から一路仙台へ。わたしは、山ばかり見ていました。

りんご畑

そして、さすが青森、りんご畑が多いのも印象的でした。

里に近いところは開拓されてりんご畑になっているところを多くみかけましたし

平坦地でも広々としたりんご畑を見ました。

さあ、仙台仙台。(いつか奈良クラブの応援のために来る日もあるかな)

東北自動車道を南下して、夜に仙台のホテルへ。

この間、けっこう長いです。ついた!と思うと、ほっとしました。

仙台到着

 

晩ご飯は、市街地のコンビニで買い物をしてホテルの部屋で食べました。
八戸で買ったお酒も、少し呑みました(笑)

ぐっすり眠って、翌朝、山形へゴー。

並木道がきれいだったので、撮りました。前の車に意味はなく。

東北地方は、自然の森の状態であればブナなどの落葉樹なので

植林してあるところがまだらに見えます。

 

仙台から山形へ山脈を越えていくのですが、その間に偶然、こんなものを見つけました。

なになに、ニッカウヰスキー。わたしたち、「マッサン」は見ていたほうです。
「ご見学・ご試飲 常時開催中」すてきな言葉・・・・。

もうひとりの運転手も、喜んでいます。

しかし、旅の途中ゆえ、見学する時間は・・・・なく、試飲も無理。
(呑まない係りの人を一人決めて見学するしかないですよね)

なごりおしい。

いつか、また来るぞ、マッサン。

こんなところにもマッサンの工場があったのですね。

あとで聞いた話によると、ここの水がとてもおいしいということでマッサンは工場を建てることにしたのですが、その水が流れてる川が偶然にも「ニッカワ」っていう名前だったんですって!

なんたる共時性。

わたしたちは、これから山形県・天童市を目指すのです。その理由は、山本製作所というペレットストーブを作っているメーカーさんがそこにあるからです。夫が勤める社会福祉法人ぷろぼのでは、奈良市内(本部事務所のある大宮町)に今、日本初(と聞きました)の4層(全体としては1階のコンクリートを含む5階建て)ビルを作っているところなのです。ビルがオープンすれば、現在の事業所をビルに引っ越します。(とはいえ、現在の事業所もビルの隣にあるんですけど)
(注 法人の事業所は県内複数個所にあり、ここだけではありませんが、本部事務所がある奈良市の近鉄新大宮駅から徒歩3分のこの場所で、ビルを新設することになったのでした)

引っ越したら、「暖房はペレットストーブにしようと」、かねてから理事長ともども、決めておりました。試験的に、すでに今もペレットストーブが一台、冬になると活躍しています(ほんとは理事長のモノです。事業所がカリパクしているようなものです。ごめんなさい)そこのメーカーさんにするか、どうするか、考えた末に決まったのが山本製作所さんでした。

今回東北まで旅するにあたり、ぜひこちらを訪ねてみようということが目的の一つにありました。

山本製作所さん訪問をもって、今回の東北旅は終わります。

わたしは窓の外を見てばかり。

山の景観が奈良と違うー。

山と山の間を道が走っています。その両サイドがこんな感じです。

産毛のように山肌を覆うブナ林。

まだらに植林してあるところ。こういうのが多いです。

山が深くなるほど植林はなくなります。

 

東北は、西日本と比べて面積が大きい。(岩手なんてものすごく広い)

その山すべてを植林するのは無理なんだと思います。

このブナたちが緑になったら・・・どんなに美しいか。

 

ブナは僻地にあるので日本の都市住民はその美しさに触れる機会が少ないのだそうです。たしかに。
観念の世界で憧れるほうが多いのかも。
そして、地元の人は「生活の森」として(山の幸を収穫して食べたり収入にしたり)のブナから、材料として伐採するブナ(もともと加工に向かないとされていましたが技術の進歩とともに家具などに使われるようになったそうです)へ、伐採したあとは人工林へ、というふうに活用していくので、ブナは減っていく運命にあるらしい。
今でこそ、保護の意識が高まっています。それは、「このままでは失われてしまう・・・」という危機感が背景にあるといえます。

経済なのか、環境なのか、なにかと対立しがちな概念です。でも「経済も、環境も」しかないと思いませんか。
それも、かつてのような経済至上主義的な経済でなく、足るを知る豊かさとしての経済。
活用して経済をうみつつも環境としても保続させていく方法を、わたしなどは「近自然」の思想や技術のなかにヒントがあると思っているわけですが、誰もが一人一人考えてみてほしいと願う次第です。

森っていいな。ありがたいな。大事にしたいな。という愛しさが、(森で食べていく人にとっても、森を環境とする人にとっても)スタートラインだと思うのですが。どうしたらいいでしょうね。

もともと山や森だった便利な場所は、ガッツリと開発されて市場価値を上げて売られてきました。
そこにはもう森はありません。境界の向こうにある林地は、親しむものではなく、取り残された場所のように見えています。

日本で、林学の先生などの多くが、「気づいたのはドイツだった」とおっしゃる(または書かれる)のを、あちこちで聞く(目にする)のですが、その理由は街から遠くない場所に必ず森があるということが大きく、それは「公園」のようなものでなく、自然に近い森(本来の自然林は伐採してしまった後なので)なのだそうです。
都市で暮らす人の多くが、森が大好きだと。

本棚から、ひょいと出してきた1989年(27年前!)の本を見ても。すでにこの時も。

林学を学ぶわたしでも、ブナ林の、四季を通じてのほんとうの美しさを知ったのは、ドイツの生活の中においてであった。ドイツ南西隅の都市、フライブルグでは、街に接して美しいブナ林があり、そこへしばしば訪れることができた。(菅原聡さん)

この先生も、大好きになられたようです。なぜドイツの人は森が好きで大事にしているのに、日本では「森が大好き」と思う人が少数派なのだろう。わたくしのまわりには森が好きな人が多いので、勘違いしてしまいそうになりますが、現実を見ると、森を大事に思っている人はそんなにいないように思います。
とにかく、ドイツ、ほんまでっか?そんなに好きなんですか? ドイツに一度行ってみたい。確かめたいです。
話がそれましたー。

 

山形県に突入し、天童市へ。宮城県との県境に近いんですね。

こんな美しい川を見かけました。

あなたはこんなふうに流れたいのね。

川というのは自然な状態であれば蛇行してますよね。それを「ショートカット」して直線にしてコンクリートで護岸する、という川のほうをよく見かけるため、蛇行している川はイキイキして見えます。(わたしだけ?)

 

 

天童市といえば、何か思いだしませんか?
そう、天童木工〜!

ちなみに、山形県総合運動公園というのも近くにありました。

なんと、モンテディオ山形のホームじゃありませんか。ご縁です。奈良クラブがJに上がったらここに応援に来る日がくるの、かも、しれませんね。

また話をもどしまして、天童木工さんに飛び入りで見学はできるのか、入り口で受け付けをさているおじさんに聞いてみたところ・・・「ショウルームがあるのでどうぞ」とのこと。時間もあるので、寄ってみました。

 

こんな感じです。

 

天童木工のヒストリー。

もともとは組合組織だったのですね。大工さん、建具屋さん、指し物師さんたちが集まった組合だっただけに、家具メーカーに。
飛騨産業も「もともとは組合」と聞きました。「もともとは組合」っていう由来の会社って多いのかも。

弾薬箱も作っていたそうです。。。。

バタフライスツール。

華奢な感じがいいな、これ。

こちら天童木工さんでもスギを圧縮して家具に使う取り組みをされていました。
(飛騨産業さんでも聞きました)

 

 

なにしてんの

天童木工の社長さん(だったかな、記憶ちがいでしたらすみません)が山林をお持ちで、
そこにあるスギをもっと生かせないかというところから始まったプロジェクトだそうです。
実際には会社全体としては輸入木材を使うほうが多いとのことでしたが、国産材を生かす取り組みは
建築でも木工でも、起こっているのかなあと感じました。

そういえば、奈良県には、家具メーカーはないですよね。(ありましたっけ)
なくてもいい、ということなのでしょうか。なんでどす? 興味をもちました。

そろそろ山本製作所さんとの約束の時間が近づきました。

天童木工さんにお礼を言って、さようなら。

帰り際にかわいいチラシを見つけました。ミナペルホネンとコラボされているそうです。
長男に見せたら、もどってこなくなりました。(写真をとっておけばよかった)

つづく

PS 次回は東北旅最終回になる予定です。
  もうすぐゴールデンウイークの旅に出るので、それまでには書き終わりたい!

« Prev - Next »