ほこりが教えてくれること。

2016年05月31日

ほこりといっても、誇りではなくて、埃のほうです。

掃除のときに、必ずふき掃除をすることにしました。

え?今までしていなかったの?と、白い目で見られそうですね(笑)

たしかに。ふき掃除は汚れが目立ったときにしており、普段は箒でこまめに掃いていました。
掃除機は原則として使いません。電気代ももったいないし、ほこりが舞い上がるイメージがあり、気が進まないのです。
また、ほこりを吸着する類いの化学雑巾や、はたき、モップも、何度ためしても結局、使わなくなります。
ほこりがべったりついたところを見ると、使い捨てたくなり、使い捨てはもったいないと感じるのです。

あるとき、箒掃除のあとで、目に付くところだけでなく、床にはいつくばって
ありとあらゆるところをふきました。愛用品は、重曹とクエン酸(竹酢とか、ビネガーとか、酢の類)ひとすじ。
あ、時々無添加石鹸。。。
これで、おもしろいように汚れがとれるので、あれもこれもと、どんどん広がり、ワンデイ大掃除のようになってしまいます。

通常は、「これでとうぶん、楽しよう」と思うのですが
あるときから、毎日ふき掃除をするのが楽しくなってしまいました。

床にはいつくばってみると、ふだん目線から消えていた汚れに
気がつくのです。そこが汚れていても、特に困らないのですが。ふいてみると・・・・。

なんということでしょう、きれいになったのは「気持ち」のほうでした!

すがすがしい。

ゴミ箱の蓋の裏も、サッシの枠の隅っこも、重ねておいた書類の上も、
ふいてきれいにすると、すっきりなのです。
(優秀なみなさんは、当たり前のことかもしれません、すみません)

そのとき、お寺や神社がいつも清浄に清められていることを思いました。

毎日、清めると、気持ちが良くて、楽しいんだ!

それから日課になりました。もちろん毎日大掃除レベル級のふき掃除をしているわけではありません。
むしろ、重点ポイントが毎日変わる感じです。1日できれいにしようとせず、
粛々と毎日ふいていくことによって、毎日少しずつ美しさが向上するのが楽しいのです。

毎日ふいていても、雑巾がうっすら汚れます。
ぱっと見たところでは、汚れてなさそうなところも、汚れています。
ほこりって、毎日たまる・・・・毎日ふいてみてよくわかりました。
ほこりって、毎日ふいていると、つきにくくなることもわかりました。
ツルンと綺麗なところには、ほこりもたまりにくく、
時間がたって空中の水分や油分と混じり合ってしまうと、取れにくくなります。
そして、毎日ふいているのに、それでも取れない汚れこそ、気合いをいれてちゃんと取ればいいので
ふき掃除は、毎日するほうがラクチンなのですね。

重曹で掃除すると、バケツの中で雑巾を洗ったときに雑巾まできれいになります。
(真っ白になるわけではないけれど、雑巾がボロボロになるまでは使えます。
もともと古いタオルをリユースしているので、ふき掃除キャンペーン最初の頃、べっとりした汚れにまみれたときは捨てていました)

ちなみに、重曹でふいたあとは白い膜ができるので、それが困る場合は酢で仕上げるといいです。
油汚れ系は重曹、水アカ系は酢です。普段は水で溶いてスプレーにしています。
どちらも食用なので、食器にかかっても何の心配もなく。手も荒れず。川に戻っても無害で。
いやー、この世から合成洗剤は消えていいと思います。
(合成洗剤メーカーさん、さあさ、ゆっくりとシフトチェンジしましょう。将来消える産業ですよ、きっと)

心も同じなのですね。ほこりは毎日たまっても不思議はないのですね。
だから、ふき掃除をすればいい。心のふき掃除って、静かにゆっくりと自分をふりかえる時間ではないでしょうか。
多くの成功者が 瞑想 を取り入れている場合が多のも、わかる気がします。
瞬間的に大掃除をしても、放っておいたら元通り。
それより、手間のかからない毎日の手入れのほうが、ラクチンで、楽しいことなのでした。
しかも、このふき掃除タイムは、案外瞑想に近いものがありますね。

手をかける。
目をかける。

いいなあ。

目の前の仕事よりも、大事かもです。
あたりまえのことをあたりまえに、楽々と。(ううううん、マダマダですが)

 

 

わたしの方針:やるべきことは、楽しさをからめる。