お盆休みに縄文情報

2017年08月18日

今年のお盆休み後半は、ゆっくりYouTube観賞をしました。
いつも気になる縄文のこと。

わたしたちは、いつどこから来たのか。日本人らしさとは何か。
それは、国家の成立よりも以前に1万年以上も続いた縄文を、モット知ることから始まるはず。
弥生以降は、ひたすら権力争いのように思え、平和が続いた縄文のほうに興味があります。
権力争いをしないで続く文明が存在した。どうすれば、そうなるのか?
と考えて、近年のわたくしは、三内丸山など縄文関係の博物館にちょいちょい行くようになりました。

そこでいつも実感するのは、わたしたちは何より「森の民」ではないかということです。

教科書には、東南アジア、北方、大陸等からやってきた人たちが日本人の粗となった、と書いてありました。
でも、縄文式土器と弥生式土器の違いがテストに出てくるくらいで、なかなか印象に残らなかった縄文時代。
しかし、そこに何かある。。。。
そんな縄文時代を、いつ、どこから、どのように?を解き明かしてくれる番組をYouTubeで見つけたので
お盆休みに、たっぷり楽しみました。(ありがたいわーYouTube)

各方面からやってきた人たち、あるいは、やってくるばかりでなく出かけていった人たちは、
まぎれもなく「海の民」です。しかし、その前に、、、「何に乗って?」かというと、
それは丸木舟なのですよね。縄文時代の丸木舟も出土しています。

木がなければ、木を扱えなければ、日本人の粗は集まってくることはできなかった。

まずは、北方や東南アジアから海を渡ってきた人たちのことを描いたものから紹介しますね。
(わたしは、縄文人のほうが日本から広がったんではないかと、最近は思っているのですが、それはまだ仮説ですので)

そもそも、日本列島が大陸から離れたのがいつごろか。
2万年前の氷河期、日本は大陸と陸続きだった。
1万5千年前ごろ、温暖化によって海水面が上昇、列島は大陸から切り離された。それが縄文時代の始まりと重なります。

北方から

南方から

森の民 三内丸山も登場〜!

縄文時代から稲作

あらたな人びとの存在

2500年前、中国の戦乱から逃れた人たちが流れつき、水田を広めたとのことですが、、、
縄文の人たちはそもそも多様な人々の混血なので、一般に言われているように、縄文人と弥生人を骨格で区別することには疑問の声もあります。
帰化人が多数来日したとしても、先住の人のほうが多かったはずなので、民族が入れ替わるということも考えにくい。
が、2500年前から水田が広まったことは、これでわかりました。

弥生人は縄文人を「滅ぼした」のでしょうか??
これについて、御柱祭りを取材したこの番組が参考になりました。

諏訪大社にも、数年前に行きました。出雲系の神が祭られていることに興味がわいて。出雲が滅びたとき、大国主を父とするタケミナカタの神が逃げてきたところだとされています。なので、お参りしてみたかったのですよね。
そこに先住民として「モレヤ(守屋)」さんがいらっしゃったこと、そして敗れたけれども出雲の神は守屋を滅ぼすことをしなかった。代々諏訪大社の神事をつかさどっていることには驚きました。守屋というのは、ユダヤとの関わりも想起しますね。。。諏訪は不思議なところです。
巨木の祭りは融和の祭り。。。。御柱祭には感動します。

遺伝子的な発見として、日本人のDNAが独特なものだということがわかってきています。(ちょっと嬉しい)
そして、わたしたちは2割は縄文人からもらったDNAを持っているらしい。

2割保持されている縄文人の遺伝子が日本人らしさなのではないかと、、、そう思えてきました。
縄文のDNAに、より近いのがアイヌや沖縄の人たち。。。学ぶところがたくさんありそうです。
昔、梅原猛さんの本で読んだようなことが、証されてきたのですね。

(話がはみ出しますが、日本人のDNAは、人類としても非常に古い時代に分岐してきたものだそうです。このあたりも、興味あるなあ。)

縄文人に通じるに違いないと思っているのがネイティブアメリカンです。
「縄文人たちがネイティブアメリカンの粗である」という説を紹介する番組も見ました。
縄文時代以前から、人々は海をこえて交易していたそうです。
もしかしたら、縄文時代は1万6千年前といわず、もっと以前から始まっていたのかもです。(すでに大陸続きの頃から〜?)
前編

後編

縄文人に最も近いと言われるアイヌと、その子孫と思われるネイティブアメリカンに共通するものとは
「目に見えないものに対する畏敬」

お盆休みの最後に、この「目に見えないものに対する畏敬」という言葉に落ち着きました。

これを「宗教」や、「宗教を使った人や社会のコントロール」とは違う次元で、
まじめに取り戻す必要があるとわたくしは考えています。

目に見えない=非科学的=嘘、信用できない
ではなくて、目に見えないことのほうが多く、科学で説明できないことのほうが多いのですから。。。
「大地や自然の精霊」とも呼ばれるものが、
未来にとって、とても大切なものになるでしょう。

お盆は先祖を思う時と言いますが、わたくしも、そんなお盆を過ごすことができました。

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