たんたんと伸びる雑草を刈りながら。バジルも収穫の時。
畑へいくと、昨日よりも雑草が伸びているのがわかる。
前の日に雨が降ったときは、いっそう感じる。
耕したところは、雑草の種が地中にうずまっているため芽が少ない。
(放置していれば、雑草ガーデンになる)
畝や、耕作地以外のすきまに、雑草は毎日、新しい芽を出し、茎を伸ばし、葉を茂らせる。
最初は小さく、やがて、もとを辿らないとどこから生えているのかわからないくらいに
作物の間にも葉を覗かせるようになる。
今日は、師匠のさつまいもの畝の周辺に茂った雑草を刈った。
根本を握って、鎌をあて、半円ほど弧を描くように捻りながら手前に動かすと、ザクっと切れる。稲刈りのようだ。刈った草は近くに放置するだけ。明日にはしおれている。そのまま土に還すことが多い。一部は堆肥用に集めている。
刈っても刈っても伸びてくる雑草は、有機農家にとっては悩みの種と聞く。お年寄りの中にはラウンドアップをまかないと体力的に駆除が難しいとも聞く。我々の小さな畑では、トラクターで混ぜ返せばほとんどはなんとかなる。けれど、作物の近くでは手刈りする。刈りながら、雑草の「刈っても刈っても伸びてくる」性質に、いつも励まされる。諦めることを知らないし、かといって、人間の前にはなすすべもなく従っている。従っているようでいて、いつのまにか、必ず芽を出してくる。
継続ということは、こういうことなんだと思う。なすすべもないと感じることも多いが、雑草のようであればいいと思えるのだ。小学校のとき、担任の先生が「雑草のようになれ」って言ってたなあ。そのときは、ポカンと聞いていた。先生の家にも田んぼや畑があったのかもしれない。
雑草の、たんたんとしているのに、ぶれない感じが好きだ。好きだけど、刈り取っている。
さようなら。わたしたちは、畑活するの。
苗から植えたバジルが茂ってきたので、摘芯をかねて収穫した。冷凍して、貯めておく。ジェノベーゼになるらしい。去年までは、惜しみながら使っていたバジル。今年は使い放題だ。