浄化を求める気持ち。
自分の記事には、けっこうな頻度で「ありがたい」とか「感謝する」という言葉が出てくるとは自覚してます。
(わたしは、子供のころ親に「おまえは感謝がない」と言われたことがあります。
感謝ってなんだろう。人に言われてすることなのかな。
と、思ったものです。ははは。)
今日はなぜ、自分が感謝することを意識しているのかという話をしたいと思います。
(ちょっと恥ずかしいな)
「ありがとう」を口癖にすると運が良くなる、というタイプの話を聞いたことはありませんか。
信用する人と、しない人がいると思います。
どうして、そうなるのかな?
ある時、何か自分に変化をもたらしたいと思ったことがあり
ありがとうという言葉を、意識するようにしてみました。
言葉に出したり、内心で思ったり、ノートに書いたりです。
この時点では感謝の気持ちは特になくて、作業のようにしていました。
実験のようでもありました。
「これでどうなるんだろう?」
どうなったと思いますか。
気のせいかもしれませんが、根拠もなくありがとうと思っていると
何がありがたいのが気づくのです。
「逆じゃないか?」とも思います。
何か 嬉しいことやラッキーなことがあるから感謝、ですよね。
しかし、実際には、すでにあるラッキーなことを忘れているだけで
本当はかなりラッキーだったということを
思い出す、という感じです。
今生きていることや、これまで育ててもらったことや
毎日太陽が昇ってくることも、嬉しいこと、ありがたいことでした。
そんなとき、心が浄化されるのを感じます。
わたしは浄化を求めているのでしょう。
ということは、浄化したくなる原因を持っているのでしょう。
(持っています ^^:)
誰でもあると思います。
それを毎日浄化していると、毎日感謝していることになり、
気持ちよく過ごせるので、何かするにしてもいい方向の結果に傾きやすい
というメカニズムがあるように思います。
そういえば、、、、
強いスポーツ選手は、親や指導者などまわりの人に感謝していると聞いたことがあります。
厳しい訓練は、感謝の気持ちがなければできないのです。
苦しみを感謝が浄化するのかもしれません。だから続けられる。
厳しくない日常であっても同じなんだろうと思います。
いい子ぶりっこしたいからでも何でもなく
そのほうが、自分が気持ちよく暮らせるということが大きい。
ちょっとムカっとすることがあった時などは
「何か忘れてないかなー」と思うようになりました。
そうすると、忘れていた感謝すべき点が思い出されてきて
ムカっとしたことが緩和されたり
相手に対してムカっとしているよりも
自分はどうしたいのか、という方向へ切り替わったりします。
これに気づくためのきっかけだったのかな?
と思うことも。
ありがとう、と言っている時の自分は満たされた感覚があります。
不安になったとき、機嫌が落ちたとき、
ベランダの緑を見て、元気に育ってくれていることに
ありがとうと思う。
その小さな嬉しさが、今日の元気を作ってくれる。
みなさんは、いかがですか?
追伸
浄化するという意味では
片付けや清掃も同じですね。
ついつい、物を散らかしては、散らかしっぱなしにしてしまう性格なので
気をつけています。
古民家や団地などを美しく住みこなしている人の情報に触れるのが
大好きなのですが、その大前提は片付けと掃除ですよね。
真似したくなるように、時間があると動画を見て
心の栄養にしています。