東北旅-4 縄文にふれよう 三内丸山遺跡へ
早起きして、宿を出る。
昨日からの雨は、みぞれに変わっている。
押し越していく車の窓に、へばりついているみぞれ。
途中で、たんぼを横切る水路のようなものを見て、ちょっと降りて見たりして。
今日は三内丸山遺跡へ行き、白神山地の片鱗に触れ、
その日のうちに仙台へ移動して翌日の山形への移動に備える予定。
最近縄文への興味が再燃中のわたし(たち)。
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ここで想像にひたる一時を満喫したいと思います!
それではこれより、ひたすら写真で。
まず、特筆しておきたいのは、入場無料、博物館の撮影もOKという、非常におおらかな施設であった!!!ということです。
最初に、博物館を見学。
この男の子のバックにあった、導入のメッセージ。
「自然とともに暮らし」「青い海と青い森に支えられた豊かな文化」
そう、それにふれたくて、奈良からやってきました。
人類の歴史のほとんどは、自然とともに暮らしてきていて、
年表の最後の最後の一瞬だけ、自然を壊しながら今に至っている。
でも、その危うさにも気づいています。
これからは、自然とともに暮らすほうへ進むのが「進化」だと思うのです。
撮影自由だったので、たくさん撮ったつもりでしたが
あまりたくさん載せても面白くないかもしれませんね。いくつか選んで載せておきました。
博物館は、さらに続きます。マネキンが随所に置かれていて、縄文人を身近に感じられるような展示になっていました。
ここでは膨大な数の土器が見つかるので、その破片のひとつひとつから、復元される手間ひまも膨大なんだと思います。土器の一部が白く見えているのは復元されている途中のもの。
博物館をぬけると、屋外の展示に続いています。ちょうど、ボランティアガイドの時間だったので案内していただきました。
70歳代くらいの親しみやすいおじいちゃんでした。
「ここはもともとプロ野球の球場ができるはずだったんですよ。でもね、江戸時代くらいから【ここにはいろいろと埋まっている】ということがわかっていたものでね、球場の工事の前に一度調べてみることになったら、これが出る出るわで。このまま球場を造るか、保存するかで意見がわれたんですけど、当時の県知事の決断で、球場はやめる!ってことになって。ほんとは球場になるはずだったんですよ」
と、個人的にはかなり球場にならなかったことが残念なご様子でした。もちろん、遺跡の価値はご存知だと思うのですが(^^)
おかげさまで、わたしたちは縄文に触れながら現代や未来のことを考えることができます。
この入場無料撮影OKの遺跡が、たくさんの人に愛されますように・・・。
住居跡などが集まっている敷地の外側へ道があり、その道沿いに大人のお墓が並びます。ガイドさんいわく、「当時の人口と墓の数からして、全員が埋葬されたわけではないと思う。はやりリーダーのような人がいたんじゃないかと、僕は思うな。人が集まれば、自然と、頭のいいのとか、そういうのが出てくるのが普通じゃないのかな」
また、大人の墓が村から距離を置いたところに並んでいるのに対して、子どもの墓は村の近くに置かれていたそうです。
まるで亡くなった子どもが寂しくないように、みんなの近くに置いてあげたのかなと思えてきます。
木々に囲まれていると、深い山の中のように思えますが、ここ三内丸山は海も川も近く、
食べ物の調達や交易に大変便利な位置にあったということは
ここに来てみて、やっと実感できたことでした。
六本柱とならんで、三内丸山の象徴的な建物である大型の竪穴住居跡が見えます。
南盛土を見学。大量の土器や石器、翡翠の玉などが見つかりました。
つづく