10月の終わりに初めての愛媛旅(1 松山城〜坂の上の雲ミュージアム)
10月最後の週末に、以前から計画していた愛媛旅をしてきました。愛媛は初めてです。
そろそろ、「初めて」の県が少なくなってきたので、この調子で全都道府県コンプリートしてみたくなっています。
M君は釣り目的(食堂の食材を調達するという大義名分があるそうです)、わたしは便乗して地域の視察(ということに)。
取り急ぎ、写真をアップして残しておきます。
詳しい感想を書きはじめると、一日かかりそうですので、「おいおい書き足すかもしれない」として、、、。
30日の夜明けとともに出発。M君は旅慣れた人で、わたしはいつも、有り難い思いをさせてもらっています。大阪や神戸などの渋滞しそうなところを早めに通過するために、夜明け前に出るのが大切とのことです。朝焼けが見られるから、わたしは嬉しい。
最初の目的はうどんです。香川県を通過するのに、うどんを食べないなんてありえません。
うどんを食べて、大きな目的を果たしたような気持ちになった後は、一路愛媛へ。
愛媛といえども広いです。今回は、松山市が目的地。道後温泉に浸かってみたい、というのが理由です。
その前に、今治タオルの 池内オーガニックさんへ行ってみたかったのですが、あいにく休みとのことで諦めました。
池内オーガニックさんのことを、友人のライター赤司くんが最近書いていたので、
これはせっかくだから行ってみよう、、、と思ったのです。しかたない。
「松山へ行ったら、どうする?まずはお城かな」
M君と旅行するときの最大のラッキーは、M君が日本史に詳しく、どんなことを聞いてもポンポンと答えてくれること。
お互い学者ではないので、厳密なことを言えば、二人して勘違いな話をしているかもしれません。それでもおかまいなし。
歴史上の人物を友だちのように「何々君」と呼び、「あらあ、、、それは可愛そうだったわねー・・・」とか何とか、
感情移入しながら喋っているうちに、目的地についてしまうのです。
「松山城はすっごく広いね」
街の中心地らしいパリっとした建物のすぐ背後までお城の森が迫っています。
そうこうするうちに県庁を通過。
「お城の入り口はどこかな?山の上にあるお城だから、ロープウエイで登っていくよ。駐車場に車をとめて、ロープウエイの駅まで歩こか。」
駅の近くには、城主の像が。今も地元の人たちに、人気があるんだろうなあ。この地を「松山」と呼んだのは、この方です。
場内は博物館になっており、お城の歴史を学べます。刀や衣服、道具などの文化財が旧藩主家の久松家から寄贈されています。松平家は全国にたくさんあるので、少し名前を変えて久松という姓になっているそうです。わたしの故郷にある松江城も松平家。どちらも文化的な香りがします。。。文化は平和な時代にこそ豊かに育つ。
お城から降りるときは、あえて徒歩にしました。その途中で、次の予定地である「坂上の雲ミュージアム」が見えました。
ロープウェイの駅まで戻ると、「伊織」という今治タオルのショップを発見。
そこで、ふっわっふわのタオルを見つけ、特に必要もないのに買ってしまいました。
洗濯したら、この風合いはどうなってしまうのだろうかと思うともったいなくて使えない(笑)と思うほどです。
日本の地場産業は、中国産などに押されて危うい状況に追い込まれたところがたくさんありますよね。
危ういどころか、消滅したというべきか。それは時代の流れであって、資本主義の世の中であれば当然のことでしょうか。
わたくしはそうは思わなくなりました。コストの安い国で作ったほうがいい、と言うときの「いい思い」は誰のため?
わたくしも、安価な品物はとても有り難いのです。それはその通りです。けれども、日本の地場産業が廃れるくらいなら、
そして、それらが品質にこだわり誠実に作られている以上は、「守る」くらいの気持ちで、
(できるだけ 汗)少し高くても買いたい。(そのかわり、少し買う。大事に使う 汗)
プロセスの見えにくいグローバル経済よりも、もうすこし小さな経済を回せないものでしょうか。
さすがだなあと思うのは、コスト競争という厳しい戦いの中で、それでも立ち上がる人たちが増えてきていると感じること。
今治タオルも、有名デザイナー(佐藤柏さん)にロゴを頼んだり、今治ならではの品質を追求したり。
奮闘が見られます。
今治タオルは、使ってとても気持ちのいいものだということ、
一口にタオルといえども気持ちよさに違いがあることを、教えてくれました。
だから、好きです。
お城の三の丸があった場所は、今は公園になっています。あとで行ってみるかも。
松山ではビジネス街のビルの谷間から、山の上のお城が見えます。
岐阜県にある金華山のようなけわしい山ではなく、健康ウオークで登れる山。街に近い、親しみのある城でした。
このお城のすぐ近くにあるのが、「坂の上の雲ミュージアム」。司馬遼太郎が「日本とは何か」を問うために明治時代と向きあった文学作品の名がついている通り、秋山兄弟と正岡子規について、司馬遼太郎の作品中の文章をナレーションとして詳しく紹介されています。設計は安藤さん。館内の廊下はすべて坂道。歩くのに苦にはならないゆるやかな傾斜がつけられています。
坂の上の雲ミュージアム 建築概要 http://www.sakanouenokumomuseum.jp/about/construction/
その窓から、おごそかな建物が見えるので気になりました。
ロシア戦争が描かれているので、辛そうで、わたしはなかなか読めない「坂の上の雲」。司馬ファンのM君から教えてもらうのが丁度いいくらいです。
「正岡家は余裕があったから正岡子規は文学を続けることができた。でも、秋山家はそうではなかったから、学費のいらない軍隊へ進んだのだろうね。弟さんのほうは、本当は文学がしたかったみたい。最後は精神的に、ちょっとおかしくなっちゃったかなあ。三人とも、ものすごく賢かったから、地元の期待が大きかった。それに応えなければならない、という気持ちも強かっただろう。お兄さんは、戦後は地元にもどって校長先生になるんだ。ものすごくいい先生だったみたいだよ。」
「秋山兄弟は、ロシア戦争に勝ったとは思っていなかった。たまたま、ロシアのほうが負けてくれたに等しいし、作戦の失敗もあったと思っている。でも、世間は称賛の嵐。これに対して「ちがうだろう!」という、たまらない気持ちがあったらしいよ」
軍服をまとった姿の、残された写真からは想像しにくい、兄弟の葛藤があったのですね。
戦争なんて、誰も望んでいない。一部の戦争をしたい人たちの犠牲になる人がいるだけだと思いました。秋山兄弟も例外ではないと。
秋山兄弟といえば、ロシア戦争における功績だけが言われることが多い印象でしたが、二人の本当の思いに触れることができて、やはり戦争なんて、もう21世紀中に永久になくさなければならないと切なく思いました。愛媛の人の「温順さ」を司馬さんも悲しい気持ちで書いたようでした。(作家さんは、辛いことでも描かなければならない、、、、ほんとうに大変な仕事だと思います)
ちなみにですが、正岡子規という方は、だいぶん自意識強めの人だったのではということも発見でした(笑)
最近は、ある理由で「俳句」に関心が湧いていたので、この街でも俳句がさかんな様子がうかがえ、いいことだなあと思いました。
博物館を去る前に、気になっていた建物にも立ち寄ることにしました。(M君は、こういうのはあまり興味がありません)
それは、「萬翠荘」」という旧松山藩主久松家の別邸でした。いや、すごい。。。
ミュージアムを出た後は、いよいよ道後温泉へ。そしてホテルへチェックインの予定です。
つづく