おいしいごはんと、愛すべき人がいたら。

2020年07月10日

最近のことですが、隊長(夫です)が勤めをやめまして、
新しい取り組みもまだ、全くといっていいほど、これといったものはない状態です。
つまり、時間がたっぷりある。

 

そこで彼は、前職に関係していたことでございますが、
「ごはんは僕にまかせて」と言いました。
その日から、とてもまともなごはんを食べる日々が続いています。
 

毎日のようにユーチューブで料理動画をチェックして
「何作ろう?(ワクワク)」状態。
どうやら、楽しいらしいのです。極めて自発的行為です。
実に、ラッキーです。
おかげでわたしは、事務所で忙しかったり(暇だったり)しても、
家に帰るとごはんが待っているのです。
 
ここで写真をアップできるような
「おしゃれなおうちごはん」的なものではないんですよ。
ごく普通の、、、、ウスターソースの瓶がテーブルに乗っかっているような、
そんな食卓ですよ。
 

「こんな状態(隊長が暇)なのに、今日も家族揃ってごはんが食べられるなんて
わたしたちは、なんて恵まれているんでしょう。感謝にたえません」
と、わたしは大真面目につぶやいてから、心の底から感謝をこめて
「いただきます」と言って食べ始めます。
命をいただく感謝、作ってくれた人への感謝、そして今日こうして幸せでいられることへの
どうしようもない感謝を、毎食、毎食、天に捧げています。

 
思えば、それほど食いしん坊でもなく、飲んべえでもないのに
食卓を囲めることが嬉しくてたまりません。
楽しい食卓さえあれば、人生は幸福だと断定していいのではないかとさえ思います。
 

それには家族がみな健康であることや
なにひとつ揉め事がないこと、
食材を買えるだけのお金があること、
同じタイミングを共有できるだけの時間的余裕があること
などなどが含まれています。

家族の中で、たとえば誰かと誰かがうまくいっていなかったりしたら?
食事は単なる形だけのものになってしまいますね。
  

いえ、今日は、家族の話をしたいのではなくて
これをもし、仲間とできたなら、その喜びは「感動」と呼べるレベルに
いっきに引き上げられるなあという話がしたかったのです。
 
それが「打ち上げ」というものでしょう。
 
そして、これはまさに「直会」というものでしょう。
直会とは、祭りの終了後に、神前に供えた御饌御酒みけみきを神職をはじめ参列者の方々で戴くことをいいます。
祭り、、、それは例えば自分たちが企画した何らかのプロジェクト。
プロジェクトには不安がつきもの。いや、不安の塊です。
「なんで、こんなこと始めてしまったんだろう、、、、」と思う瞬間があるものです。
それが今や、無事終わった!楽しかった!というその時、
仲間といっしょにごはんを食べる。お酒を飲む。幸せです。
 
いえいえ、これといったプロジェクトがなくたって
「再会」であったり「記念日」であったり、
小さな祭りは暮らしの中にたくさんあります。
そして、気心の知れた中で、本音をわかちあいながら
ごはんを食べる。何か飲む(コーヒーだけだったりしても同じこと)。時間がすぎる。
本当に幸せな時間です。

 
この瞬間を最高に楽しむためには、
一日、一日を(自分なりに)ちゃんと過ごすことですね。
 
 

わたしったら、好ましき人、愛すべき人といっしょに過ごし、語らう時間が
このうえなく好きなようです。