お盆やすみを挟んで二日ぶりの畑活。みんな成長している。苗も、雑草も。

2020年08月17日

世間でいうお盆休みとはいえ、自由業の我々は毎日が日曜日のようなものだ。
我々はそうだとしても、ともに遊ぶ人たちはこんなときでないとご一緒できないので、お盆を使って一晩楽しい時を過ごした。
翌日は隊長が疲れ果てたため、二日ほど畑を休んだ。

今日いってみると、大豆がずいぶんしっかりしてきたように思う。葉っぱが肉厚になってきた。

土寄せ

野菜の種を植える実験をしてみたとき、根元がふらふらすることに気づいた。土から数センチ離れたところから葉が成長する。葉の重みでへたってくる。そこで「土寄せ」というものがあることを知った。
苗の根元に、まわりの土を集めて茎をささえてあげるのだ。ベランダの鉢植えの中では、なかなかうまくいかなかったが、畑なら大丈夫。今日はスコップで周囲の雑草をかきとりながら、土寄せのまねごとをした。ひょろひょろしていた茎が、多少木質化している。心配したけど、心配ご無用。苗は元気に強くなっているのだった。

バジル

一畝畑の隅っこに、わたしのバジルゾーンがある。スイートバジルの苗を植えてある。このバジルは、ベランダで育てている苗を切って、水につけて、根が生えてきたところでポットに植えたもの。ひ弱な印象だったが、畑に植えると元気に育ち始めた。バジルではないけど、大葉も植えた。大葉は瀕死の状態だったが、これも元気に葉っぱを増やしている(スイートバジルの画像の隅にかすかに写っているもの)。

スイートバジル

レモンバジル

ハーブの中でも、ダントツにバジルが好き。見てかわいい、食べておいしい、匂いも気持ちいい。夏の強い日差しにも負けない。バジル最高。
 

今後の予定は、コンポスト!!

アイリスオオヤマのコンポストを購入した。わたしはいつも思っていたことがある。畑に、プラスチックの緑色のコンポストが置いてあるのをよく見かける。それを置くのが、どうしても嫌だった。畑の緑とは似て非なる色が目立ちすぎるのだ。しかし、このごろは黒いコンポストが出回っている。いろいろ検討した結果、アイリスオオヤマの黒いコンポストが手頃でよいと判断した。

コンポスト

ベランダでダンボールコンポストで生ゴミ処理をしてきた。案の定、3ヶ月ほどでいっぱいになる。これはさらに3ヶ月くらいの間、発酵させるために保管する必要がある。そこで、あらたに二箱目にとりかかったとき、冬になり分解がおもわしくなくなってきた(菌ちゃんも、寒いと調子を落とすのだと思う)。それに、このまま発酵中のダンボールが増えても置く場所がない。「やっぱり畑があったらなあ」と思うようになった。そして、このたびの幸運に出会い、夢のコンポスト設置が実現できる運びとなった。
過去にも書いたかもしれないが、師匠もコンポストを設置しておられる。「どんなに入れても分解するからいっぱいにはならない」「植えた覚えがないのに、かぼちゃやトマトが育っている」この二つの言葉が魅力的でしかたがない。分解する感動を味わいたい。勝手に育つ野菜には、過度な期待はせず、コンポストを置いた場所の周辺の土が肥えてきていることを感じられたらそれでいい。
昨今、めっきり外食をしなくなり、台所では毎日野菜の生ゴミが生まれてくる(料理するのは主に隊長であります。隊長への礼儀のため、書いておきます)。わたしはそれを刻んでタッパーに入れ、米ぬかをまぶして、冷蔵庫に貯めている。今までならそれをベランダのダンボールコンポストに入れるところだが、これからは畑に持参して、畑コンポストに投入だ!
 

安く済ませたいからじゃなくて

コロナの自粛をきっかけに、わたしがフォローしているSNSのみなさんの中にも、初めての菜園(ベランダでも庭でも)をするひとが増えたと感じる。暇だから、、、という動機だったかもしれないけれど、深層心理的に命の安全を求め、生命力を感じたいという本能ではないかと思う。家庭菜園を始めたからといって、食べ物が自給できるわけではない。でも、種や苗を植えれば、命が育ち、それを食べることができるというのは成功体験であり、循環を感じられることであり、農業のプロのすごさに気づくことであり、簡単に買えることがあたりまえではないことに気づくことであり、無農薬の美味しさに気づくことであり、あげたらいくらでも気づきがある。

わたしは雑誌づくりをするにあたって、農業や林業に携わる人との接点が多い。その方たちのお話をうかがうにあたって、「それがどういうことか」を少しでも理解したいという気持ちが強い。自給したいとか、安くすませられると思っているわけではない(実際、安くないと先輩がたはおっしゃるのだけど、一畝程度であれば機械もいらないし、道具は借りられているので、めだった出費なしで出来ている)。
もちろん、自給に少しでも近づきたいという気持ちはある。だから、バジルだけは自給、ネギだけは自給、というふうにひとつづつ自給アイテムを増やして楽しみたい。購入する者もいなければ、農業はなりたたない。今後も購入する立場であり続けるだろうけれども、作物への愛しさや感謝を理屈でなく感じられるようになることが一畝畑をする豊かさかもしれないと思う。

 

 

というわけで、どんなに下手でも失敗してもいいので、なにか食べ物を作ってみることを、おすすめします。あ、みんな、もうやってるんよね!

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