日々使うものなら、人の手になる好きなものを、増やしていきたい。

2020年08月22日

雑誌編集・運営活動として、毎日のように人に会っている。

先日出あった人は、2歳のおとこの子を育てながら陶芸作家をしている人だった。

奈良県の出身で、京都の芸大を出て、茨城県で修行しているときに3.11に遭遇。奈良に帰ってきて、結婚、そして今。

「手びねりで作るのが好き」という。

作品に興味を示すと、「今、車の中に置いているのをお見せしましょうか?」と見せてくれた。

 

梅干しを入れておく壺が欲しいと頼まれたのがきっかけで、「塩も入れたら」と考えて作ったそうだ。女性の手が入るほどの口径だ。

釉をかけるのではなく、化粧土をぬる方法。どちらも欲しくなった。先日、信楽に行ってみて、陶芸の里では職人さんたちが一つ一つろくろを回して食器を作っておられる話を聞いたばかりだが、もっと言うならば、それが友人知人の手になるものであれば、さらに愛着が湧くと思うし、一つ購入することの意味も、作家さんにダイレクトに届くのがお互いに嬉しいのではといつも思ってきた。とはいえ、あまり高価なものは手が出ない。かといって、安ければいいとは思わない。作り手さんへのエールを含んだ価格でなくてはならない。


価格を聞いてみると市販品とそんなに変わらない良心的な金額だったので、購入した。白い壺もとても好きな風合いだったけれど、手書きの模様に癒しを感じたので、こちらを選んだ。

アクセサリーを買うより、この作品のほうがずっといい。

我が家では、塩を入れよう。塩は、精製塩は使わないことにしている。体に痛いような味がするから。砂糖がなくても死なないけれど、塩がなければ死んでしまう。塩、リスペクト。今、減塩が大事という説もあるけれど、それはきっと精製塩のことだ。自然に近い塩はミネラルを含んでいて、むしろもっと必要なんだと思う。そんな大事な塩を入れる容器として、使わせていただく。

使うたびに、彼女のことを思うだろう。こんな買い物のしかたを、増やしたいなあ。今までも、机やテーブルなどは、お決まりの木工作家さんに頼んできた。おかげで、彼の手になるものが室内に増えてきている。食器も、縁のある作家さんのものを増やしていこう。さほど気に入っていないものを「まあいいか」と使うより、ちゃんと気に入ったものにしていきたい。たとえ手作りでも趣味が合わなければ買わない。たとえ大量生産品でも、気に入ったものは買う(でも、メーカーが誇りをもって作ったものがいい)。今のところ、ごはん茶碗は出西窯。野田琺瑯のトレーと保存容器。これから買うものは、たぶんもう一生使うことになるだろう。

日々使うものは、キッチンに多い。キッチンの主は隊長なので、隊長セレクトにより、いつのまにかアマゾンで購入されてしまうのが残念なのだが、最近は意見を求めてくれる場面も増えてきたので、この思いが少しは通じてきたのかな。

先月訪ねたデザイナー夫婦の古民家の家で、ショウルームのように一つ一つが味わい深い家具や道具にふれたとき、「何にお金をかけるかですよね、僕たちは食べるものや暮らしに使いたい」とご主人が言っていたことが心に残って、いつまでもあたたかく沁みている。 なんでもかんでもお金をかければいいものは買えるかもしれないけれど、自分たちの限られたお金の中で考えるからこそ、選択が真剣になる。いや、無自覚なのか、真剣なのか、そこが分かれ目なんだ。迷うことも、諦めることも、勇気を出して買うことも、楽しもう。