やってみる。小さなひらめきが、消える前に。阿南家食堂。
隊長は、前職で飲食店の運営をまかされていたため、仕事上の必要性から厨房に立ったり、メニューを考えたりすることが身についてしまった。
退職してからの初めての決意表明は、「ごはんは僕が作るわ」だった。
なんという幸せ。
以後、事務所から自宅にもどると美味しそうな匂いが立ち込めているようになった。
隊長は日々ユーチューブを見てアイデアを探しているようだ。料理を作ることが、全く苦にならないらしい。わたしが主婦だった時代は、、、、(省略)。
昨日は「煮崩れしない肉詰めピーマン」。ピーマンは師匠の畑からいただいてきたもので、火を通すと甘くとろりとして柔らかく、最高のうまみ。あくまでも、ごく普通の家庭料理。写真にとりたくなるような盛り付けでもないし、レストランのような味ではなくて、ただただ暮らしの幸せを実感できる手作りの絶品。
子どもの頃は、親が忙しく、ごはんづくりは祖母の係だった。今となっては野菜中心の素晴らしい料理だったと思うけれど、当時は、少しものたりないと思うこともあった。ハンバーグやスパゲティーは出てこないので、それらが食べたいときは自分で作った。小学生の頃から台所にたつことは、楽しかった。台所の楽しさを、わたしはもう満喫しているので、これからは隊長に楽しんでもらえればいいと思う。わたしも、いつでもピンチヒッターになるんだけど。
隊長の家庭料理。ありがとう。
営業としての食堂はもう二度とないけれど、こんなに美味しくて幸せな時間を誰かにもわけてあげたくなる。そこで、何かの機会に「阿南家食堂」と呼び、隊長が料理を作ってみんなで食べるということが増えつつある。というか、押しかけ食堂活動と言うほうがあたっている。誰かに何かをプレゼントしたくなることがあるように、ごはんづくりをプレゼントしたい時というものがあるのだ。友人のゲストハウスに夫婦で泊めていただくときのお礼に、おもてなし。一人で頑張っている農家さん宅で(本当に押しかけ)。自主企画で1泊2日のスクールをしたときの晩ごはん(弾き語りライブつき)。
そんなことをしているうちに、この秋、新しくオープンするお店で仲間が集まってごはんの予定も決まった。「うちに食べにおいでよ」というのを外でやっているだけなので、料金はいらない。野菜のある人からは提供してもらったり、うちも頂いた野菜を使わせてもらったりもする。
好きな人といっしょにごはん。プラスαで美味しいお酒や、音楽。これ以上に楽しいことがあるだろうか。集って語れば、自然に会話が生まれていく。いま大切にしていること、いま頑張っていること、予定していること。みんなの話を聞くのも、楽しい。それがまた、雑誌づくりのアイデアにつながったりもする。
これからも、「ひらめいたら阿南家食堂」はやりたいな(やってほしいな、というのが正しいか)。ひらめきは、ほっておくと消えるので、消える前に実行あるのみ。そんな誘いが流れてきたら、ぜひお会いしましょうね。