山の民

2016年08月20日

山の日というものができたことについて
お知り合いの方がブログに書いておられたこと。

山の日が出来たついでに私は「日本人よ、山に還れ」と言う日にしたらどうか?と思います。

ナゼ、「山に還るのか?」私の持論を聞いて下さい。

日本の國は海に囲まれていますが昔から多くの人達は海洋民族では無くて「山の民」だったのです。

大昔からの経験で津波の被害を受ける海岸地帯の低い所に集落はつくらなかったのです。

今大都市はすべて海を埋め立てた所に住居を作って集中しています。便利なと言う理由だけで。

江戸時代以前、太田道灌の歌にありましたね。(60年ほど前の高校3年生の時のバスガイドから聞いた歌ですから正確では無いかも知れません)

「我が庵は 松原つづき 磯つづき 富士の高嶺を 軒ばにぞ見る」

東京も太田道灌の居城(皇居・江戸城の元)の前まで海だったのです。

モチロン、今東南海地震津波で数万の死者や行方不明者が想定されている地区はほとんどが埋め立て地です。

すべての埋め立て地は津波の被害を免れません。

津波は防波堤をつくっても被害は出ます。地震と津波では人命は助かっても一生支払いにかかる住宅ローンは払い続けねばなりません。

江戸時代以前の地形を見て下さい。今住んでいる地域が海だったか?

今都会に住んでいる人の多くは山から出て来た人達が多いはずです。

この方は神職も務めておられ、わたしたちにとって重要な年となった2009年のお正月、ご祈祷をお願いした方なのです。
とても感謝しています。

山の民。
わたしも、そのことをここ数年考えています。

森や川や環境のことを、町(人口の多い場所)に住む自分のような人たちが愛をもって考えるようになれば・・・と
願うようになってから、海と市街地、農地、川の源に森があるということにいきついて、
(ほんとうは、大きく考えたらすべては循環しているんですけど)
森を基本に考えたら、おのずと、それにつながるいろんなことに思いが至るように感じました。

もともとは森。山の日はそういうことを考える日にしたいと思っています。

どこに住まなければならないということはない、と思います。
ないものねだりをするよりも、今住んでいる場所を大切にするのが基本だと思うし。
ただ、水も酸素も土壌、木材(わたしの場合は紙で大変お世話になっている!)、などなど
もともとは森のおかげということと、それを活用するために先人の努力(いや、今このときも含めて)があったことには
いつも感謝せずにはいられません。