いまそこにある幸せと再生

2014年12月19日

FBに「ブログを更新しました」とか、わたしはどうしても書けない。
人に読んでもらうのは恥ずかしすぎるほど、自分の思っていることをあけすけに書いているためです。

ここは、たまたま見つけてくださった方が読んでくれたら一番嬉しいですし、
その中のたった一人でも、気が合うかも、と思ってもらえたら最高です。

今日は、「いまそこにある幸せと再生」という言葉がうかんだため
忘れないように、書いておこうというだけの理由で書いています。

昔、わたしとはかすりもしないところで
世間では「バブル、バブル」と騒がしかったのですが、
その頃に「足るを知る」という言葉が好きになり、今もずっと好きです。
すでにある恵みや幸福に気づかなければ、
いつまでもエンドレスに「もっと、もっと」と追いかけることになる。
それって、どうなん。ということろから、気づきました。
当時、「もっと もっと」の向こうには
自然を敬う気持ちなどかけらも感じられなかった。

いまそこにある幸せに「気づく」ことこそが幸福を生むのではないかしらと。

本当に欲しいのか、それとも華やかな広告やテレビに映るものを見て
欲しいような気にさせられているのか。
本当に欲しいものが何か、わからなくなってないか。
雑音の中で耳をそばだてるように、探していました。

話は変わって、このごろ、リノベーションという言葉が気になります。
また、昭和の家具や雑貨も好ましく感じます。
葛城市にある恵古箱というお店のコンセプトは
「すてられそうなものを今の暮らしにもういちど」だと知ったときは多いに共感しました。

今が、何か違う、足りない、と感じるとき、
新しいものを買うことだけが答えではないのです。
今ある条件の中で、我慢する必要もない。

今ある条件を認めて、それをどう生かすか、楽しむかというセンス。
何を捨てて、何をたすかの選択。
そして、すでにある恵みに感謝する気持ち。
そういうことが交じり合って、幸福感につながるような気がするのです。

同じことが、人にも。
得手、不得手、強さ、弱さ。すでにある条件を
一人一人が持っています。
でも、これは取り換えはできない。
ないものねだりをしても、不満が増幅するだけ。
すでにある恵み、今そこにある幸せに気づくことで
人の才能はもっと輝くのではないかなとも、思うのです。
自分のことをダメだと感じ、ダメな自分に苦しんでいた人が
すでにもっていた長所に気づき、気づかされ、
再び輝き始めるという場面を、わたしは見たことがあります。

「足るを知る」は、「再生」の喜びにつながっているような気がします。

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